もう1つの年頭所感-平成最後の田川氏新春インタビュー(前)

JATA年頭所感にないテーマを中心に
前編は30年を表す1文字、自身の業界入りの理由など

-「観光先進国をめざして」には、田川会長が旅行業に飛び込んだ理由も書かれていました

「観光先進国をめざして」の表紙田川 旅行業界に入った直接的なきっかけは、70年の大阪万博だった。6400万人もの人々が来場したが、そこでは旅行会社の添乗員たちが奮闘して、多くの人々を動かしていた。その見事な仕事を目の当たりにして「人を動かす仕事」に魅力を感じ、物流などとは違う「人流」でビジネスをしようと考えた。その頃は、海外旅行などは一般庶民にとって高嶺の花で、正直に言うとあまり興味がなかったが、「人をどう動かせばビジネスになるのか」というテーマには、学生時代に専攻した交通経済学と共通する部分があった。

 しかし、そのような考えで入社した旅行会社では、多くの先輩達の旅行商品造りにかける情熱を見ることになり、私も初めての海外経験となった香港・マカオ・台北への添乗で、その魅力を実感した。私が入社した頃は年間約90万人に過ぎなかった海外旅行者数は、約20年後の90年には1000万人にまで成長したが、その裏には先達の計り知れない努力と苦労がある。国際航空運送協会(IATA)に掛け合い、欧米にはないバルク運賃を新設させてパッケージツアーの隆盛を導いたり、デスティネーション開発などにも取り組んだりされた結果、今の市場があることを忘れてはならない。

 このような努力を積み重ねた70年から90年にかけての約20年間は、言わば旅行業界が田圃を作って耕していた時代で、今となっては忘れられがちだ。しかしその過程を知らずに稲を刈り取るだけでは、米作りはすぐに絶えてしまう。「田圃はあって当り前。米は穫れて当り前」と考えている者は、市場が変わろうとする時にその変化に対応できない。だからこの本には「今こそ温故知新が必要」という思いを込めた。

 例えば、日本の旅行業界が現地の関係者とともに創り上げた「ホノルルフェスティバル」は、今年3月に第25回を迎える。また、ホノルルマラソンは日本の旅行業界が係り始めてから30年以上が経つ。しかしそれ以降は、日本人にとって最も重要なデスティネーションの1つであるハワイを開発する努力が、大きく減っているのではないか。

 「開発しよう」という思いを忘れたところに市場は存在するだろうか、と改めて問いたい。田圃を改良すればもっと多くの米が獲れるかもしれない、あるいは田圃を畑に変えれば違う作物が収穫できるかもしれない、という発想を忘れてはいないだろうか。