卒業旅行レポート:ペルー、メキシコ16日間、バックパック旅行のケース
旅を彩る人との出会い、次の旅行への期待に
〜ペルー、メキシコ珍道中〜
今回の旅行者はこれまでの海外旅行経験8回。航空券と宿の手配のみで現地へ行ける海外旅行に慣れた学生である。個人旅行ならではのエピソードが盛り込まれたレポートからは、どんな旅行者にも初体験は多く、経験値や旅先での体験、感動は一人ひとりで異なることを改めて気づかせてくれた。旅行者は旅行中に初の一人旅を体験し、人との出会いに感謝する。その感動が旅行の楽しさを膨らませ、また次の旅行へとひきつけている。
◆旅行者データ
2008年度大学院・教育学研究科卒業 女性 これまでの海外旅行経験8回
旅行実施時期:2009年2月16日〜3月3日 16日間
旅行手配総額 約15万円 現地消費額 約10万円
旅行前
時間が少なく最低限の準備に
修士論文が進まず、苦しかったときも、友人と論文提出後に出かける卒業旅行を励みにして頑張ることができた。一緒に行くメンバー3人と卒業旅行をすることは12月ごろに決めていたが、旅行先など詳細はやはり、修士論文が終わってから決めることにしていた。旅行先をペルーとメキシコにした決め手は「体力もあって時間に余裕のある今しか行けないところに行こう」ということ。以前から個人旅行が好きだったこともあり、今回も自分たちで計画を立てた。出発前の手配は、航空券と宿のみをした。論文提出後からメンバー3人が一緒に旅行できる日にちまで3週間しかなく、十分な準備をする時間がなかったからだ。
航空券は成田からペルーのクスコへの乗り継ぎが複雑だったため、旅行会社に手配を依頼。乗り継ぎ時間のロスが少ない便を探し、細かい質問にも答えてもらったので、とても助かった。また、マチュピチュやナスカなどの観光ツアーは現地で申し込んだが、友人がスペイン語を話せるため特に問題はなかった。
行きあたりばったりの旅行だったが、行く先々で色々な人との出会いがあった。また、一緒に旅行をしたメンバー3人は春から社会科教員として就職が決まっていたこともあり、両国の歴史と文化を学ぶことができた充実した旅行になった。
今回の旅行の長所・短所
ハプニングも個人旅行ならではの強烈な印象に
クスコでマチュピチュへ行く列車のチケットを取ろうとしたところ、すでに席は満席。急きょ現地のツアーに申し込みをした。
翌朝、迎えに来たのは、旅行会社のロゴなどの装飾がない家庭用の普通のバン。運転手も制服を着ておらず、いわゆる旅行会社の運転手らしく見えない。少々不審に思ったものの、しばらくはアンデスの美しい景色のなかを何事もなく走行。しかし途中、警察に止められて運転手が事情聴取のようなものを受けたため、別のバンに移動しなくてはならなくなり、ハラハラした場面もあった。
乗り継いだバンは順調に進んだが徐々に道が険しくなり、日光のいろは坂のような道を延々と登ったり、冠水した道を突っ切ったりすることもあって、乗客は次々に車酔いでぐったりしていく。さらに、山崩れの箇所にさしかかり、下車して歩かなくてはならないなどハプニングが連続。マチュピチュへの登山列車駅「水力発電所」に着いたのは7時間後だ。
通常、このツアーはこの駅から列車に乗り込むが、私たちは旅費節約のため遺跡のふもとの村であるアグアス・カリエンテスまで、線路伝いに歩いていくことにした。自然に囲まれながらのトレッキングは新鮮な気分になったものの、さすがに疲れて3人とも無口に。日が落ちて真っ暗なトンネルを歩くなど、サバイバルな体験を2時間ほどしてやっと村に着いた時には、本当にホッとした。
パッケージツアーのように確実性がなく、時間の効率もよいとはいえないが、その分行程の一つひとつが印象的だった。マチュピチュ自体はもちろん素晴らしかったが、そこへたどり着くまでの体験が強烈に、貴重な体験として心に残っている。
旅行のハイライト
初の海外一人旅、複雑な歴史が融合する印象深い都市
ペルーの後はメキシコシティへと移動。最後の3日間は別行動とし、初の海外一人旅を体験した。実は私にとって、メキシコシティは今回の旅のなかで一番楽しみにしていた場所。大学で都市地理学を勉強していたので、世界有数の人口を誇るメキシコシティの成り立ちや構造に興味を持っていたこと、そしてフリーダ・カーロというメキシコを代表する女性画家に関心があったことがその理由だ。
メキシコシティはもともと、湖に浮かぶテノチティトランという都市だったが、スペインの侵略時に湖の部分が埋め立てられて作られた。今回は街の南側の、かつて湖だった部分が残る水郷のソチミルコ地区を訪問。迷いながら歩いていると、通りがかりの人が道を教えてくれた。メキシコでは地図を見て迷っている姿を見て助けてくれる人が多く、人々の温かさに触れることができた。
また、フリーダ・カーロのアトリエや、彼女の夫でメキシコを代表する画家であり、メキシコ壁画運動家であるディエゴ・リベラと暮らした家、そして彼女の作品が展示されている美術館も巡った。事故による後遺症や夫との不仲に悩む間に描かれた絵の数々は、苦しさとともに絵を描くことで救われようとした彼女の姿を表しているようで、印象的だった。
メキシコシティにはアステカ時代の遺跡が残されている一方で、ヨーロッパ勢力に征服された侵略の激しさを物語る遺産も多く存在する。また、独立記念塔やメキシコ人のアイデンティティを求めるメキシコ壁画運動の芸術作品などには、メキシコの複雑な歴史が表れている。しかし、現在では先住民とヨーロッパの文化が融合し、それが「メキシコらしさ」を形作っている。民族とは、宗教とは何かなど、さまざまなことを語りかけてくれる街だった。
卒業旅行を終えて
出会いが宝物、日々の頑張りの糧に
今回の旅行を一言で表すと、「出会い」という言葉が思い浮かぶ。ひとつは、中南米の国々の歴史や文化との出会い。恥ずかしながら、高校や大学の授業で中南米の歴史をしっかり勉強してこなかったので、旅行前に改めてこれらの国々がどのような歴史をたどってきたのか、どんな文化があるのかを調べ、これらの地域についてもっと知りたいと感じるようになった。さらに現地で、自分の目や肌で文化や歴史を感じることで興味はますます深まり、それは今も続いている。
もう一つは、旅行中での様々な人との出会いだ。日本からの飛行機のなかでは、隣の席になったご夫婦と色々な話をした。マチュピチュの遺跡では、前日にクスコの日本人宿で会った同年代の友人と合流して一緒に観光をし、下山のバスでは隣に座ったペルー人の女の人と会話を楽しんだ。私のたどたどしいスペイン語と英語を一生懸命聞いて、笑顔で話してくれたのがうれしかった。
またメキシコでは宿で出会った人々との交流が印象に残っている。スペイン語を使う仕事を探すために日本から来た人や、ボランティア活動に参加しながら旅を続けてきた人たちなど、様々な出会いがあった。一緒に覆面プロレスショーのルチャ・リブレを観たり、屋台料理を食べたり、テキーラ・パーティをしたり…。楽しい時間を過ごすことができ、人との出会いに感謝する旅行となった。
このような体験ができたのは、個人旅行だからこそだと思う。人々との出会いが、私の卒業旅行をさらに彩ってくれた。様々な出会いにあふれた旅行の思い出は、私にとっての宝物となった。そして、次の旅行、次の出会いへの期待が、私の毎日の頑張りのもとになっている。
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〜ペルー、メキシコ珍道中〜

◆旅行者データ
2008年度大学院・教育学研究科卒業 女性 これまでの海外旅行経験8回
旅行実施時期:2009年2月16日〜3月3日 16日間
旅行手配総額 約15万円 現地消費額 約10万円
旅行前
時間が少なく最低限の準備に

航空券は成田からペルーのクスコへの乗り継ぎが複雑だったため、旅行会社に手配を依頼。乗り継ぎ時間のロスが少ない便を探し、細かい質問にも答えてもらったので、とても助かった。また、マチュピチュやナスカなどの観光ツアーは現地で申し込んだが、友人がスペイン語を話せるため特に問題はなかった。
行きあたりばったりの旅行だったが、行く先々で色々な人との出会いがあった。また、一緒に旅行をしたメンバー3人は春から社会科教員として就職が決まっていたこともあり、両国の歴史と文化を学ぶことができた充実した旅行になった。
今回の旅行の長所・短所
ハプニングも個人旅行ならではの強烈な印象に

翌朝、迎えに来たのは、旅行会社のロゴなどの装飾がない家庭用の普通のバン。運転手も制服を着ておらず、いわゆる旅行会社の運転手らしく見えない。少々不審に思ったものの、しばらくはアンデスの美しい景色のなかを何事もなく走行。しかし途中、警察に止められて運転手が事情聴取のようなものを受けたため、別のバンに移動しなくてはならなくなり、ハラハラした場面もあった。
乗り継いだバンは順調に進んだが徐々に道が険しくなり、日光のいろは坂のような道を延々と登ったり、冠水した道を突っ切ったりすることもあって、乗客は次々に車酔いでぐったりしていく。さらに、山崩れの箇所にさしかかり、下車して歩かなくてはならないなどハプニングが連続。マチュピチュへの登山列車駅「水力発電所」に着いたのは7時間後だ。
通常、このツアーはこの駅から列車に乗り込むが、私たちは旅費節約のため遺跡のふもとの村であるアグアス・カリエンテスまで、線路伝いに歩いていくことにした。自然に囲まれながらのトレッキングは新鮮な気分になったものの、さすがに疲れて3人とも無口に。日が落ちて真っ暗なトンネルを歩くなど、サバイバルな体験を2時間ほどしてやっと村に着いた時には、本当にホッとした。
パッケージツアーのように確実性がなく、時間の効率もよいとはいえないが、その分行程の一つひとつが印象的だった。マチュピチュ自体はもちろん素晴らしかったが、そこへたどり着くまでの体験が強烈に、貴重な体験として心に残っている。
旅行のハイライト
初の海外一人旅、複雑な歴史が融合する印象深い都市

メキシコシティはもともと、湖に浮かぶテノチティトランという都市だったが、スペインの侵略時に湖の部分が埋め立てられて作られた。今回は街の南側の、かつて湖だった部分が残る水郷のソチミルコ地区を訪問。迷いながら歩いていると、通りがかりの人が道を教えてくれた。メキシコでは地図を見て迷っている姿を見て助けてくれる人が多く、人々の温かさに触れることができた。
また、フリーダ・カーロのアトリエや、彼女の夫でメキシコを代表する画家であり、メキシコ壁画運動家であるディエゴ・リベラと暮らした家、そして彼女の作品が展示されている美術館も巡った。事故による後遺症や夫との不仲に悩む間に描かれた絵の数々は、苦しさとともに絵を描くことで救われようとした彼女の姿を表しているようで、印象的だった。
メキシコシティにはアステカ時代の遺跡が残されている一方で、ヨーロッパ勢力に征服された侵略の激しさを物語る遺産も多く存在する。また、独立記念塔やメキシコ人のアイデンティティを求めるメキシコ壁画運動の芸術作品などには、メキシコの複雑な歴史が表れている。しかし、現在では先住民とヨーロッパの文化が融合し、それが「メキシコらしさ」を形作っている。民族とは、宗教とは何かなど、さまざまなことを語りかけてくれる街だった。
卒業旅行を終えて
出会いが宝物、日々の頑張りの糧に

もう一つは、旅行中での様々な人との出会いだ。日本からの飛行機のなかでは、隣の席になったご夫婦と色々な話をした。マチュピチュの遺跡では、前日にクスコの日本人宿で会った同年代の友人と合流して一緒に観光をし、下山のバスでは隣に座ったペルー人の女の人と会話を楽しんだ。私のたどたどしいスペイン語と英語を一生懸命聞いて、笑顔で話してくれたのがうれしかった。
またメキシコでは宿で出会った人々との交流が印象に残っている。スペイン語を使う仕事を探すために日本から来た人や、ボランティア活動に参加しながら旅を続けてきた人たちなど、様々な出会いがあった。一緒に覆面プロレスショーのルチャ・リブレを観たり、屋台料理を食べたり、テキーラ・パーティをしたり…。楽しい時間を過ごすことができ、人との出会いに感謝する旅行となった。
このような体験ができたのは、個人旅行だからこそだと思う。人々との出会いが、私の卒業旅行をさらに彩ってくれた。様々な出会いにあふれた旅行の思い出は、私にとっての宝物となった。そして、次の旅行、次の出会いへの期待が、私の毎日の頑張りのもとになっている。
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