「くうきをかえる」~大阪・関西万博テストランで思ったこと-JR東日本びゅうツーリズム&セールス代表取締役社長 高橋敦司氏

  • 2025年5月2日

 新たにコラムを連載させていただくことになった。私はJR東日本で長らく旅行業、観光、地域創生の分野を中心に仕事をし、着地型観光、インバウンドなどの黎明期に関わりながら、東日本大震災やコロナ禍というツーリズム産業の存亡にかかわる出来事にも直接向き合い、今もツーリズム産業の最前線にいる。取り巻く環境がダイナミックに変化する中で、なかなかそれに対応しきれていないツーリズム産業と日本の地域。旅の本質は人生を豊かにすること。旅人を受け入れた地域の皆さまの人生も、ビジネスとしてそれを行うわれわれ自身の人生も豊かになること。自らの戒めも含め、観光全体を俯瞰したうえでの気がかりや旅先で目にしたことなどを柔らかく書いていきたい。ぜひ、気長にお付き合いいただければと思う。

オープン前の「テストラン」に参加してきました

 開幕を1週間後に控えた大阪・関西万博。いわゆるテストランに業界関係者として参加した。桜島駅からのシャトルバスの乗り場の動線の不自然さ、教育旅行やバスツアーの多くを受け入れる西口交通ターミナルからゲートまでの遠さなどに不安を感じつつも、国を挙げてのイベントにつきもののワクワク感が溢れてくる。もどもどしたセキュリティ、愛想笑いはするがさりとて積極的に声をかけてくるには至らないキャストの皆さんの佇まいも開業前だからこそ。都度IDとパスワードの入力を強いる謎の設計で行列の主原因となりそうなアプリも含めて、これから多くの人を受け入れ様々な課題に直面し、意見を聞きながらチューニングされていくことだろう。

 一周2㎞の木造建築、大屋根(リング)は圧巻だった。建物としての意外性もさることながら上に登った時の異次元の風景だけでも見るに値する。万博のパビリオンと海、そして工場や大阪の街並み。歩きながらに変化を感じるこれだけの空中回廊はこれまで日本には無かった。パビリオンはほんの少ししか見ることができなかったが、まさに唯一無二の体験ができる機会が日本にやってきたことを実感した。

 4月13日に開業してから約1週間、連日マスメディアでも現地からの報道がされ、徐々に「万博は楽しい」という雰囲気が醸し出されつつある。しかしながらこれまではどうだっただろうか。人格が宿るスマホではどうしても人々が求める情報へと偏りがちだ。工事の遅れ、食事が高い、メタンガスが出る。9割がたの学校が遠足や教育旅行へ行くというのを「1割が不参加」と報道する。とにかく万博が気に入らない人々の存在も今やソーシャルメディアの世界では自由に言論空間を漂う。未だにウェブメディアではどちらかといえば小さなトラブルをテーマにしたネガティブな見出しが多いだろうか。加えて、万博側もオープンまであまりきちんとした楽しい情報を積極的に提供したとはいえず、想像もできないのに「想像以上が、万博だ」という不思議なキャッチコピーがポスターに踊っていた。

 2022年12月、国が進めてきたGO TO トラベル事業は中止の憂き目にあった。旅がコロナの感染を増加させているという事実も科学的根拠もないままに、旅と移動が悪者にされた。当時私が仕事をしていた会社の調査では、GO TO に対し反対の声を上げていた人々の多くは3年に一度も旅行経験のない人だったとの結果だった。コロナ禍後も日本は国を開くのが他国から比べて概ね1年遅れた。訪日外国人が過去最高を更新する中で日本人のパスポート保有率はわずか約17%、もはや日本人が夢と好奇心を抱いて海外へ旅すること自体が幻になりつつある。

大屋根(リンク)は圧巻。これだけの空中回廊は今まで無い。

 1964年、前の東京五輪の時に東海道新幹線が開業した。その6年後の大阪万博。飛行機も大型化され、高速道路も整備され、人々は旅を謳歌できるようになった。円は1ドル360円の時代。それでも皆人々は「いつかは憧れのハワイ、ヨーロッパ」と海外旅行を夢見ていた。「世界の国からこんにちは」と三波春夫が笑顔で歌った前の万博は、まさにツーリズムの大衆化の象徴であったはずだ。それから55年。人が動かないことが、旅をしないことがいかに国の力を落とすか、地方の衰退を加速させるか、その想像力が圧倒的に欠けてしまった今の日本。

 1970年の万博の入場者数は約6400万人。当然トラブルもあった。しかし記録に残っているものの多くはトラブルなどではなく、それをきっかけに進歩した科学技術や日本の成長の実感だ。もうこんな機会は日本にはしばらく無いだろう。空気(くうき)を変(か)えることができるのは、実際に訪れた人々の楽しんでいる姿と笑顔しかない。せいぜい、訪れる人は楽しみ、そして楽しいことを全身で表現し、多くの人に伝えよう。


高橋敦司
株式会社JR東日本びゅうツーリズム&セールス 代表取締役社長。1989年東日本旅客鉄道(JR東日本)入社。2009年びゅうトラベルサービス社長、13年JR東日本営業部次長、15年同担当部長、17年ジェイアール東日本企画常務取締役チーフ・デジタル・オフィサーなどを歴任。24年6月から現職。