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洋服店から街づくりへ、「商売人の妄想」から生まれた沖縄北谷町・デポアイランド

  • 2022年2月2日

民間・官民連携で成長を目指す共栄構想を

 観光王国・沖縄で人気観光スポットの1つに挙げられる商業エリア、デポアイランド。その立ち上げから関わり観光エリア作りを続けているのが奥原商事だ。コロナ禍で大きな打撃を受けながらも、新たな客層開拓に取り組む同社代表取締役・奥原悟氏にアフターコロナのビジョンを聞いた。(聞き手:弊社代表取締役社長兼トラベルビジョン発行人 岡田直樹)

奥原氏。デポアイランド内、THE FAT HATTER VISTA CLUBにて

-最初にデポアイランドについて説明してください。

奥原悟氏(以下敬称略) デポアイランドはアメリカンビレッジの一角にあります。アメリカンビレッジは、北谷町が主体になって美浜地区の埋め立て地に「近くて安くて楽しめる若者の町」というコンセプトを掲げて造った商業エリアで、1998年に立ち上がりました。当初あった社会保険庁の保養施設が撤退することになり、当社が2008年に土地を取得。デポアイランドとして整備してきました。現在はデポアイランドビルで数十店舗のテナント管理を行っており、アメリカンビレッジとデポアイランドのエリアでは「アメリカンデポ」、「デポアイランド」、「ソーホー」ほか3店舗を運営しています。

 また、エリア内のホテルやテナントビル運営会社と共同で商店街組織「(一社)デポアイランド通り会」を作り、デポアイランドのさらなる発展を目指す活動を行っています。奥原商事はもともと洋服屋で、アメリカンビレッジができた際に「アメリカンデポ」というお店を出しました。それまでは一商店として商売をしてきたのですが、複数テナントが集まるエリアに出店して多くを学びました。実感したのはテナントが連携して街区として魅力を高めれば集客効果も出るし効率がいいという点です。デポアイランドではその経験を生かし、皆で連携して魅力的なエリアを創ろうと考えたわけです。

-ご自身の紹介もお願いいたします。

奥原 実家は米軍放出品を買い取って販売する洋服店でした。家族経営のいわゆるパパママストアで、高校を卒業してすぐに兄が代表を務めていた店に入り、それから40年以上ずっと商売人として歩んできました。

 お客さんと触れ合いお客さんが喜んでくれるのが商売にとして何よりの喜びです。店に来ていた学生が彼女を連れて来るようになり、結婚して子供を連れてやって来る。三世代で一緒に買い物に来てくれる。こういうお客様がいてくれるのが私にとってのご褒美で、楽しかったですね。そういう喜びに加えて、複数のお店が連携すればさらに多くの集客ができると知り、街づくりにはまっていきました。

-コロナ禍の業績への影響をご説明ください。

奥原 2019年末、最初に中国で原因不明の肺炎が発生していると報じられた頃は、遠くの国の話題だと思っていました。年明けから少しずつビジネスに影響が出始めてもまだ危機感は感じていませんでした。いま思えば迂闊でした。その時点で何かできることがあったかもしれないと振り返って反省しています。

 2020年3月下旬に開催したイベントは大盛況でしたが、翌日の月曜日から客足がパタリと停止。これが私たちにとってのコロナ禍の始まりで、4月からはインバウンドが動かなくなりました。5月、6月の売上は前年比15%程度まで急落。人通りが激減し、とくに夜は人通りが絶え、街がなくなってしまうのではないかと不安になったほどです。

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