DS模擬問題:ポルトガル ポルトガル人の心の歌ファドを訪ねて
問 リスボンとともに、ポルトガルの伝統音楽ファドが歌い継がれている大学町といえば、どこ?
A ブラガ
B オビドス
C エヴォラ
D コインブラ
−−正解は下記へ
ココに注目!
▽本場のリスボンでファドを楽しむ
ファドはポルトガル人の心の歌である。悲しみや絶望を歌う暗い歌のイメージが強いかもしれないが、失恋の痛み、人生の悲哀、遠い故郷への想いだけでなく、町の噂や祭り、誇りなど、明るい要素を含んだ歌も多い。悲しみから喜びまで、ありとあらゆる感情を力強く歌い上げるのがファドなのである。ファドという言葉は、「運命」「さだめ」を意味するラテン語の“fatum”からきているが、歌の起源は、船乗りの歌、島流しにされた囚人の歌、吟遊詩人のラブソング、アフリカからブラジルに運ばれた黒人奴隷の歌など、そのルーツには諸説あり、はっきりとはわかっていない。いずれにせよ、親しみやすいリズムと叙情的な歌詞からなるファドは、リスボンを起点に国中に広まっていった。
ファドの伴奏は、主に12弦の「ポルトガルギター」(ギターラ)と「クラシックギター」(ヴィオラ・クラシカ)で構成されるが、これに「低音ギター」(バイシャ・ヴィオラ)が加わる場合もある。リスボンのアルファマ地区にある「ファドとポルトガルギター博物館」を訪ねれば、ファドとギターについてより詳しく知ることができるだろう。また、アマリアが暮らした家は、現在、衣装や宝石、思い出の品々などが展示された「アマリア・ロドリゲス記念館」となっているので、ここを訪れてみるのもおすすめだ。
気軽にライブを楽しみたいなら、夜にファド・ハウス(Casa do Fado)に出かけよう。本場リスボンには、バイロ・アルト地区、アルファマ地区を中心に大小数十軒のファド・ハウスがあり、食事やアルコールとともにファドが楽しめる。オレンジ色の街灯に照らされたほの暗い石畳の細い路地をそぞろ歩けば、どこからともなく漏れ聞こえる切ないメロディー。現地でしか味わえないポルトガルの風情だ。
ちなみに、ファド・ハウスにもさまざまな種類があり、なかには近所の歌自慢の人々が次々に歌う食堂的な雰囲気の店もあるが、本格的なファドを聴くなら、中・高級店を訪れたい。夜10時頃から数人のプロの歌手が代わる代わる登場し、それぞれ感情たっぷりに力強いファドを披露する。幻想的なろうそくの灯のもと、グラスを傾けながら聴くファドは、たとえ歌詞がわからなくても、胸の奥深くに沁み入ってくることだろう。
▽ファドの起源と伝説のファディスタ
当初、リスボンの下町の酒場や民衆サロンで、日常のうさを晴らすように歌われていたファドは、やがて貴族のために屋敷で歌われ、劇場で公演されるようになった。ポルトガル最初の伝説的ファディスタ(ファド歌手)といわれるマリア・セヴェーラ(1820年〜1846年)は、ヴィミオーゾ伯爵とのロマンスを通じて貴族階級にファドを広めた。素晴らしいファディスタが続々登場し、優れた作詞家や作曲家が曲を提供するようになると、ファドはより洗練された歌となっていく。
そして、ファドを世界に知らしめたのは、没後の今もカリスマ的人気を誇るアマリア・ロドリゲス(1920年〜1999年)である。アマリアは、ヨーロッパ各地の大ホールをはじめ世界各地でファドを歌った。フランス映画『過去のある愛情』の挿入歌として歌った「暗いはしけ」も、その存在を知らしめるのに大きな役割を果たしたといわれる。黒い衣装とショールという女性ファディスタのイメージを定着させたのもアマリアだ。
アマリア亡き後は、その後継者といわれるマリーザ(1973年〜)が世界各地で公演。2003年BBC放送ワールド・ミュージック賞を獲得するなど幅広く活躍し、さらに多くの聴衆を獲得している。
▽リスボンとコインブラ――2つのファド
ファドは大きく2種類に分けられる。ひとつは、リスボンの下町から起こった元祖ファド、いわゆる「リスボンファド」。モウラリア、アルファマ、バイロ・アルト、マドラゴアといった古くからの地区で育まれてきたものだ。運命や葛藤をテーマに心の奥にある悲しみを歌い上げる一方で、恋のさやあてなど普通の人々の暮らしを明るく歌うこれらの曲は、貴族から船乗りまでさまざまな人々に愛されてきた。
そして、もう一つが大学町コインブラの男子学生が愛しい恋人に贈るセレナーデとして歌いはじめたとされる「コインブラファド」だ。黒いスーツにマントという姿の学生たち数人で歌うスタイルが一般的で、歌詞はリスボンファドに比べてアカデミックといわれる。彼らの歌声は、卒業記念で行なわれる5月の伝統行事「ケイマ・ダス・フィタス」(リボン焼き祭り)や、旧カテドラルの門の前で歌う「ノイテ・ダ・セレナータ」などで楽しめる。

正解:D

B オビドス
C エヴォラ
D コインブラ
−−正解は下記へ
ココに注目!
▽本場のリスボンでファドを楽しむ

ファドの伴奏は、主に12弦の「ポルトガルギター」(ギターラ)と「クラシックギター」(ヴィオラ・クラシカ)で構成されるが、これに「低音ギター」(バイシャ・ヴィオラ)が加わる場合もある。リスボンのアルファマ地区にある「ファドとポルトガルギター博物館」を訪ねれば、ファドとギターについてより詳しく知ることができるだろう。また、アマリアが暮らした家は、現在、衣装や宝石、思い出の品々などが展示された「アマリア・ロドリゲス記念館」となっているので、ここを訪れてみるのもおすすめだ。
気軽にライブを楽しみたいなら、夜にファド・ハウス(Casa do Fado)に出かけよう。本場リスボンには、バイロ・アルト地区、アルファマ地区を中心に大小数十軒のファド・ハウスがあり、食事やアルコールとともにファドが楽しめる。オレンジ色の街灯に照らされたほの暗い石畳の細い路地をそぞろ歩けば、どこからともなく漏れ聞こえる切ないメロディー。現地でしか味わえないポルトガルの風情だ。
ちなみに、ファド・ハウスにもさまざまな種類があり、なかには近所の歌自慢の人々が次々に歌う食堂的な雰囲気の店もあるが、本格的なファドを聴くなら、中・高級店を訪れたい。夜10時頃から数人のプロの歌手が代わる代わる登場し、それぞれ感情たっぷりに力強いファドを披露する。幻想的なろうそくの灯のもと、グラスを傾けながら聴くファドは、たとえ歌詞がわからなくても、胸の奥深くに沁み入ってくることだろう。
▽ファドの起源と伝説のファディスタ

そして、ファドを世界に知らしめたのは、没後の今もカリスマ的人気を誇るアマリア・ロドリゲス(1920年〜1999年)である。アマリアは、ヨーロッパ各地の大ホールをはじめ世界各地でファドを歌った。フランス映画『過去のある愛情』の挿入歌として歌った「暗いはしけ」も、その存在を知らしめるのに大きな役割を果たしたといわれる。黒い衣装とショールという女性ファディスタのイメージを定着させたのもアマリアだ。
アマリア亡き後は、その後継者といわれるマリーザ(1973年〜)が世界各地で公演。2003年BBC放送ワールド・ミュージック賞を獲得するなど幅広く活躍し、さらに多くの聴衆を獲得している。
▽リスボンとコインブラ――2つのファド
ファドは大きく2種類に分けられる。ひとつは、リスボンの下町から起こった元祖ファド、いわゆる「リスボンファド」。モウラリア、アルファマ、バイロ・アルト、マドラゴアといった古くからの地区で育まれてきたものだ。運命や葛藤をテーマに心の奥にある悲しみを歌い上げる一方で、恋のさやあてなど普通の人々の暮らしを明るく歌うこれらの曲は、貴族から船乗りまでさまざまな人々に愛されてきた。
そして、もう一つが大学町コインブラの男子学生が愛しい恋人に贈るセレナーデとして歌いはじめたとされる「コインブラファド」だ。黒いスーツにマントという姿の学生たち数人で歌うスタイルが一般的で、歌詞はリスボンファドに比べてアカデミックといわれる。彼らの歌声は、卒業記念で行なわれる5月の伝統行事「ケイマ・ダス・フィタス」(リボン焼き祭り)や、旧カテドラルの門の前で歌う「ノイテ・ダ・セレナータ」などで楽しめる。

正解:D