itt TOKYO2024

【仕事を変える】ビュート社長 村田洋一氏-転職4回、夢に向け独立

「船会社」設立へ、計画順調
すべての転職に意味、業界外で貴重な気付きも

トラストは業務渡航がメインで、クルーズからは大分離れていたはず。転職先に選んだ理由はなぜですか

村田 当時、面接を受けた会社の中で一番給料が良かった(笑)。また、トラスト以外の会社では「契約社員として何ヶ月」と条件があったが、トラストでは最初から正社員として採用してもらえて人を大事にする会社だという印象を受けた。

 そしてトラスト時代は営業を担当したが、実は営業を希望していたわけではなかった(笑)。採用面接の時に「航空会社を作りたい」と伝えたら、「営業ができないと話にならない」と言われて営業を始めた。これが24歳くらいの時だ。確かに営業職での経験は創業時に大変役に立った。

「船会社を作りたい」とは言わなかったのでしょうか

村田 クルーズが今ほど身近ではなくニッチな存在だったためクルーズを語り理解してもらうことは難しいと感じていたのと、航空会社の創業への興味も依然として持っていたのでそう言った。しかし、2010年に「レジェンド・オブ・ザ・シーズ」の日本発着クルーズが20万円ほどで販売されはじめた様子を見て、「そろそろ動こうか」と考えた。

 ただ、当時の社長への恩もあって自分としてはすぐに退職する気はなかった。しかし、社内で「いずれはクルーズをやりたい」と話しているうちにその社長からクルーズプラネットを紹介してもらい、2011年に転職した。

念願のクルーズに携わることになったのですね。しかし、その後も「ビュート」を立ち上げるまでに何度か転職されているそうですね

村田 クルーズプラネットでは福岡支店の立ち上げを経験させていただいた。企画や意見が通りやすい社風だったため楽しく働くことができた。家庭の理由により退職をせざるを得なかったが、大変貴重な経験をさせていただいた。今でも、仕入れなどでお世話になっている。

 関東に戻ってきて、自身の営業力が旅行業界の外でどれくらい通用するのか試そうと、2013年に旅行とは全く関係のない外資系メーカーに転職し、2015年までお世話になった。そこは売上に対する利益率も良く、待遇面も充実していた。

待遇の良さで気が変わるようなことはなかったですか

村田 率直に言ってとにかく楽だった。原価率4割の商材がどんどん売れていく。旅行業での経験を活かしてリテーラーと協力し、ショッピングセンターや百貨店でイベントを開催すると売上げが一気に増える。しかし、利益率が高いが故に、そこからもうひと踏ん張りしよう、もう一つひねって売り上げを伸ばそうという熱が入らなかった。

 旅行業では黙っていたら商品は売れない。だから一所懸命に売る方法を考える。それが上手くいった時の「やったぞ!」という感覚を、再び味わいたくなった。これは旅行業界の外に出てみないと分からない感覚ではないか。逆に、その経験があったから「自分には旅行業しかない」と気付くことができたといえる。

 そして、2015年に日本旅行・グローバルビジネストラベル(GBTNTA)に転職し、世界最大規模の旅行会社が何をしているのかを学び、自身の英会話スキルがどれだけ通じるのかを試した。このように、私の転職には1つひとつ意味がある。