伝統と革新の交差点で、松竹が語る「歌舞伎の未来」とインバウンド対応

  • 2025年6月11日

 創業から130年を迎える松竹株式会社は、歌舞伎をはじめとする伝統芸能の継承者であると同時に、その可能性を広げる革新者でもある。インバウンド市場の拡大が続くなか、同社は海外からの観客にも開かれた劇場づくりを進めている。本記事では、松竹の広報・営業担当者に、歌舞伎の魅力や訪日外国人への対応、今後の展望について話を聞いた。

(左から)長谷川氏、因藤氏、高橋氏
-まずはそれぞれの自己紹介と貴社のご紹介をお願いします。

因藤 靖久氏(以下敬称略) 松竹株式会社 演劇本部 広報宣伝部でシニアマネジャーを務めております因藤靖久です。以前は松竹の映像事業部映画宣伝部に所属しておりましたので、海外映画祭などのマスコミ同行取材や撮影現場でのメディア取材などの機会も多く、旅行会社の皆さまには大変お世話になってきました。現在は松竹の演劇本部広報宣伝部で宣伝、広報周りのサポートをしております。

長谷川 三保子氏(以下敬称略) 私は演劇統括部 演劇広報室で海外向けの広報を担当しています。大学では演劇と映像を学び、卒業後は歌舞伎を中心とした古典芸能の世界に身を置くことを決めました。五世中村富十郎さんの付人、英国留学を経て、松竹に中途入社し、2007年には歌舞伎のパリ・オペラ座公演にあわせて設立された国際公演室に配属され、約10本の海外公演を担当しました。現在は海外メディア対応を中心に歌舞伎公式総合サイト『歌舞伎美人(かぶきびと)』の運営にも携わっています。

髙橋 朋花氏(以下敬称略) 私は、歌舞伎座 販売営業課で、団体のお客様のチケット販売・営業を担当しています。また、その他にも、インバウンドのお客様向けの多言語チケット販売サイトの在庫管理・配席などを担当しています。私も大学時代に演劇に触れ、その後新卒では他の業界に入社しましたが、やはり演劇に携わりたいという想いで松竹へ中途入社しました。ただ、入社当初は歌舞伎の知識はほとんどありませんでしたが、実際に歌舞伎座に配属されてから、次第にその世界に魅了されています。

因藤 松竹自体は今年で創業130年を迎えます。もともとは京都が創業地で、創業者である歌舞伎好きの大谷竹次郎、白井松次郎の2人の兄弟が自分たちの芝居小屋(京都阪井座)を持ったのが出発点でした。創業当初の生業は芝居小屋の経営であり、それが松竹の原点です。そして創業から約25年後には、当時では画期的な新規産業となる映画という新しい表現、ビジネスに目を向けるようになります。映画は松竹の創業年と同じ1895年にフランスでルミエール兄弟がシネマトグラフを開発して、パリのカフェで上映をおこなったのが起源と言われており、映画誕生から四半世紀を経てビジネスとして最初に日本に持ち込んだのが松竹でした。

今でいえばITやAIのような最先端技術をビジネス化するようなもので、当時の松竹も非常にアグレッシブに新しい試みに取り組んでいたことがわかります。演劇と映画、2つの文化を100年以上にわたって継続してきたことが、今の松竹の強みだと思います。

-歌舞伎の魅力について、お客様からどのような反応があるかも含めてお聞かせください。

長谷川 歌舞伎は、400年かけて作り上げられてきた日本独自の芸能であり、多様性と奥深さが魅力です。武家の話から庶民の物語、ときに泥棒の話まで、幅広い題材を扱っており、江戸時代の粋や人情、人の機微を丁寧に描いてきました。そのため、現代の私たちや海外の観客にも強く訴えかける力があります。

高橋  外国人の方々が意外なポイントで強く反応されることもあります。例えば忠臣蔵を観劇された際、切腹のシーンに非常に驚かれて「ハラキリ!」とその衝撃を表現されていたり、深い感動で立ち上がれなくなったとおっしゃる方もいらっしゃいました。私たちが「海外の方には受け入れられにくいかもしれない」と思っていた表現が、むしろ心を動かす瞬間になることもあるようです。