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旅行業の知見活かし飲食業との二足のわらじ、FCや海外展開も-フジ・ツーリスト・プラザ代表 藤井博幸氏

コロナ後の旅行会社の勝機はライブ販売にあり?
「アイデアの配布」で業界全体の利益に

 福岡を拠点に、旅行業と飲食業を両にらみでビジネスを展開してきたフジ・ツーリスト・プラザ。最近は飲食業の比重を高めてきたが、コロナ禍でこの流れに拍車がかかった。今後は軸足を飲食業に移しつつ旅行業を続けるという代表取締役の藤井博幸代氏に、その経営判断に至った背景を聞いた。(聞き手:弊社代表取締役社長兼トラベルビジョン発行人 岡田直樹)

藤井氏。博多の「琉そば」店舗前で。

-はじめに自己紹介と、手掛けていらっしゃる事業の説明をお願いいたします。

藤井博幸氏(以下敬称略) 1992年にECCビジネス専門学校を卒業し、20歳で旅行会社に就職しました。法人の慰安旅行などを中心に営業を担当しました。その頃は仕事も沢山あり国内・海外、法人・個人を問わず要望があれば何でもやりました。5年間はサラリーマンとして仕事し1997年に独立してフジ・ツーリスト・プラザを設立。法人や個人の旅行、自治体の出張、インバウンド的な仕事も手掛けました。例えば南米の移民2世・3世の方々の日本への旅行を扱い通訳や移動の手配をする仕事です。

-飲食業を手掛けるようになったきっかけは何ですか。

藤井 旅行会社に就職し添乗で初めて沖縄に行き魅了され、その後、三線などの音楽や沖縄の食に惹かれていきました。独立後も沖縄の仕事が多く沖縄に精通するようになりました。そのうちに、沖縄そば屋が九州にはほぼないことに気づき、沖縄そばの専門店をやれば面白いはずと考え、2008年に個人として沖縄そば店を福岡市天神の赤坂に開業しました。ところが完全に鳴かず飛ばず。2年間はかなり苦しかったですね。実はその後、店舗を何回か移転しています。いくらポスティングしても客が来ないので、どうしようかと思案した結果、店舗移転をプロモーション化しようと考えました。店が知られてお客が付いた頃に移転する。するとお客が新店舗を探して来てくれる。話題にも上る。周りからは「屋台じゃないんだから」と呆れられましたが、認知度が上がりました。

 現在は博多で、同一店舗を昼間は沖縄そばの店「琉そば」として、夜は博多名物「とりかわ串」の「鶏右衛門」として営業しています。

-フジ・ツーリスト・プラザとして飲食業を始めたのはいつですか。

藤井 2012年です。国の中小企業支援施策として、既存事業とは別の可能性を求めて新事業を立ち上げる場合に、公的支援が受けられる経営革新計画という制度があり、これに飲食業を申請して承認されたことを機に、会社として福岡に沖縄そば店を開業しました。2016年には3ヶ月限定で、ハワイ・オアフ島のフードトラックプロジェクトにも出店しました。

-旅行と飲食を両方手掛けて、どちらが好きですか。

藤井 同じです。旅行は間接的サービスで、飲食は直接的サービスという違いだけですから。そもそも私が旅行会社に入る前にしていたアルバイトは全部飲食関係でしたし、飲食の楽しみは旅行の大きな要素です。旅行と飲食に並行して取り組む違和感はありません。

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