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規模は縮小しても最低限の火種は残す-インドネシア専門ツアーオペレーター、ラマツアーズの万亀子イスカンダール氏

コロナ後の需要回復を見据え今は耐え忍ぶ
バリ日本人会と連携してインドネシア政府に働きかけも

 バリ島を拠点に日本人向けツアーオペレーターとして40年以上の歴史を持つラマツアーズ。日本にも複数の支店を置いてきたが、コロナ禍で旅行者は途絶え、規模を縮小せざるを得ない状況に置かれている。コロナ後を見据え、最小限の体制で会社存続を図る同社代表の万亀子イスカンダール氏に話を聞いた。(聞き手:弊社代表取締役社長兼トラベルビジョン発行人 岡田直樹)

ラマツアーズ代表取締役社長の万亀子イスカンダール氏

-まずはご自身のご紹介をお願いいたします。

万亀子イスカンダール氏(以下敬称略) 私は前回の東京オリンピックの翌年に青山学院大学を卒業し、インドネシアに渡る以前は日比谷にあった芙蓉航空サービスで主にアメリカ人のインバウンド旅行の手配をしていました。日本人が海外旅行に行き始めると、視察や添乗で香港や台湾、ハワイへ行くなど様々な経験をさせてもらいました。

 その間、国費留学で来日していたインドネシア人男性と出会い結婚。彼は大阪万博のインドネシアパビリオンに関わる仕事をしていたので、万博終了後にインドネシアへ帰国することとなり、私としては日本で旅行の仕事を続けたかったのですが、泣く泣く辞めて1971年にインドネシアへ移住しました。

 移住直後はカルチャーショックとホームシックで落ち込んでしまい、堪らずに日本航空(JL)のジャカルタ支店に駆け込み、帰国の片道チケットを買おうとしたこともあります。するとなぜか当時の日本人支店長の部屋に通され、「せっかく結婚してここまで来たのだから、頑張らないといけないよ」と諭されました。結局数十年をインドネシアで過ごしています。

-どのような経緯でラマツアーズの設立に至ったのでしょうか?

 落ち込む日々を過ごすなか、パクトという旅行会社から働いてみないかという声が掛かり、一も二もなく入社しました。経営者の方はオーストラリア人で、母国からインドネシアへのインバウンド旅行を手配していたのですが、日本からのインバウンド市場も開拓したいということで日本語ができるスタッフが欲しかったようです。当時はまだ旅行会社が海外に支店を作るのは難しい時代でしたから、おかげさまで日系の大手旅行会社さんからの依頼も多くいただき、念願の旅行に携わる仕事で忙しい毎日を過ごしました。

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