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馬を通じて「より良い生き方」を考えるー美馬森八丸牧場 八丸健・由紀子夫妻

  • 2021年7月5日

企業研修プログラムも、旅行会社にはコンサルティングの役割を期待

 宮城県東松島市で牧場を営む八丸健・由紀子夫妻。いずれもこの地の出身ではないが、馬を介して出会い、牧場経営や復興支援活動を続けてきた。コロナ禍により人々の価値観が変わりつつあるなか、「より良く生きるきっかけになれば」と企業や個人に向けたプログラムを提供する夫妻に話を聞いた。(聞き手:弊社代表取締役社長兼トラベルビジョン発行人 岡田直樹)

美馬森八丸牧場の八丸健氏と由紀子氏

-はじめにお二人と牧場についてご紹介をお願いいたします。

八丸健氏(以下敬称略) 出身は鹿児島県で、現在は東松島市で美馬森(みまもり)八丸牧場を経営しています。馬と出会い人生を駆動していく大きな助けや気づきをもらった経験から、馬と一緒に生きたい、そしてその日常を社会に分かち合うことで人々の幸せに貢献できると信じて活動を続けてきました。

八丸由紀子氏(以下敬称略) 私はこの牧場を経営する一般社団法人美馬森Japanの理事長で、夫と共に牧場を営んでいます。当牧場では森や海というフィールドのなかで馬を介在した復興支援活動や企業研修、心の癒しを得ることができるようなプログラムを行っています。

-お二人の馬との出会いについて教えてください。

 始まりは、どのように生きていきたいか決まらず、考える時間が欲しくて行かせてもらった大学の乗馬部でした。馬と関わるなかで、「何て思い通りにいかないんだ」と試行錯誤するうちにハマってしまい、「馬と生きていきたい」と思うようになりました。ところが当時は競馬や観光牧場などしか選択肢が見当たらず、自身で「馬と生きる」という生き方を作るしかないと思い立ちました。

 そこで、来日していたオーストラリア人の障害馬術の元チャンピオンに弟子入りし、20代前半は彼のアシスタントをしつつ馬のことを学びました。競走馬として生まれた馬を人が乗って走れるように馴らしたり、リタイアした競走馬を乗用馬にするプロセスや蹄鉄の打ち方、馬の輸送や売買、障害競技の競技会の運営など、馬についてのあらゆることを学び、ビジネスになるという確信ができました。

由紀子 私は銀座でOLをしていました。子どもの頃から動物と関わる仕事がしたいと夢見ていたので、当時勤めていた会社が岩手県の安比高原でスキー場開発をすることになった際に希望して出向し、スキー場内にある牧場や乗馬クラブで馬に関わる仕事に携わることになりました。

 そこに馬車を引く「ダイちゃん」という馬がいて、わたしは馬車の営業のアシスタントをしていました。いつかは御者になりたいと思っていましたが、日本経済の状況が悪くなり、赤字が続いていた乗馬クラブは廃止されることに。そのなかでダイちゃんだけ引き取り手が決まらず、当時25歳独身の私が買い取ることにしました。

 馬でビジネスをしたいと思いましたが、会社を辞めて資金もなく、ビジネスチャンスを創出できる段階ではありませんでした。運良くダイちゃんは県内の観光牧場においてもらえることになり、私もそこに非正規の季節労働の形で入社しました。

 アルバイトを掛け持ちしながら10年くらい経った頃、盛岡で馬車の社会実証実験が行われることになり、ようやく馬車に関わる仕事に携わることになりました。そこで孤軍奮闘しているときに出会ったのが現在のパートナーの健さんです。

-ユニークなご経歴ですが、そこから牧場経営に乗り出したのですか。

由紀子 夫は当時競技用の馬を持っていたので、それぞれの馬を連れて結婚しました。そこで牧場を開きたいねという話になり、伝手も経験もないなか盛岡で牧場の開拓に乗り出したのですが、鍬やスコップで開墾していたら近所の方々に驚かれ(笑)、トラクターを貸してもらいました。人々の優しさに支えられ、そこで15年牧場を続けました。

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