高付加価値インバウンドの本質は「価格」ではなく「位置付け」にある-KYOTOyui 近藤芳彦氏
KYOTOyui 代表の近藤芳彦です。これまでの連載では、和束町での体験設計や富裕層インバウンド戦略についてご紹介してきましたが、今回はその実践の背後にある、もう少し根本的な問題意識について綴らせていただきたいと思います。現場を歩くたびに感じるのは、日本のものづくりがいま本当に「待ったなし」の状況にあるということ、そしてその再生には、私たちが普段何気なく使っている「呼び方」から見直す必要があるのではないかということです。そんな思いを最近ずっと抱えています。
現場を訪ね歩くたびに痛感するのが、担い手不足の深刻さです。かつては家業として自然に受け継がれてきた技術が、いま一世代でその継承が途絶えようとしている。職人さんの平均年齢は上がり続け、若い担い手が入ってこない産地も少なくありません。私が携わっているお茶の世界でも、茶園を守る農家さんの高齢化は加速していて、耕作放棄地の問題は今後さらに顕在化してくるだろうなと感じています。
これは単に「若者が興味を持たない」という話ではないと思うのです。むしろ、産業構造そのものが若い世代にとって魅力的に映らないまま放置されてきたことに、本当の原因があるのではないでしょうか。生活していける収入が得られない、社会的評価が正当になされない、将来の展望が描けない、この三つが重なった状態で「後継者になってほしい」と願うのは、あまりにも一方的な期待だなと、現場を歩くたびに感じてしまいます。
最近強く感じているのが、「工芸」という呼び方が抱えているイメージの問題です。「工芸を守ろう」「頑張れ日本の職人」― こうした言葉は一見応援のように聞こえますが、裏を返せば「守らなければ消えてしまう弱い存在」という前提を、私たち自身が強化してしまっているのではないでしょうか。
そして実は、この記事でもつい使ってしまう「伝統産業」という言葉も、まったく同じ響きを抱えていると思うのです。「伝統」と付けた瞬間、そこには「昔からあるもの」「守るべき過去のもの」というニュアンスが自動的に乗ってしまう。応援のつもりで「日本の伝統産業を大切にしよう」と言えば言うほど、それは若い世代の耳には「もう終わりかけている業界の話」として届いてしまっている。現場で若い人と話すたびに、そう感じさせられます。
どちらの言葉も、悪意なく使われているものです。でも、その言葉を使い続けている限り、私たちは自分たちのものづくりを「懐かしいもの」「守るべき遺産」の側に押し込め続けてしまいます。「頑張れ」と言われる業界に、若者は自分の人生を賭けたいと思うでしょうか。私は正直、思わないのではないかと感じています。応援しているつもりの言葉が、実は担い手を遠ざけてしまっている。この矛盾に私たちはもっと自覚的であっていいはずです。
