itt TOKYO2024

【ホテル総支配人リレーインタビュー】第9回 ザ・キャピトルホテル 東急総支配人 末吉孝弘氏

  • 2021年10月7日

安売りに走ればラグジュアリーホテルの未来を失う
待遇改善と地位向上でより良いサービスの実現を

 第8回のロイヤルパークホテル笹井高志常務取締役総支配人からバトンを渡されたのは、ザ・キャピトルホテル 東急総支配人の末吉孝弘氏。総支配人として日本一のラグジュアリーホテルを目指すと宣言し、順調に成果を上げてきたところに襲い掛かったのがコロナ禍だった。それでも信念を曲げることなく、求めるラグジュアリーホテル像の実現に邁進する末吉氏の心の内と戦略について伺った。(聞き手:弊社代表取締役社長兼トラベルビジョン発行人 岡田直樹)

末吉氏

-ザ・キャピトルホテル 東急がどのようなホテルか改めてご説明ください。

末吉孝弘氏(以下敬称略) 日本初の外資系ホテルのDNAを受け継いできた日本のホテルとして、ザ・キャピトルホテル 東急は唯一のユニークな存在です。1度目の東京五輪前年の1963年にヒルトンホテル東京として営業を開始して以来58年の歴史を持ち、ザ・ビートルズをはじめ数々の海外アーティストも宿泊してきました。未だに「ビートルズが泊ったホテル」として訪ねてくださる方々もいます。

 ホテルのもう1つの特色は名物料理があることです。オールデイダイニング「ORIGAMI」の排骨麺(パーコー麺)、お土産のバナナブレッドはホテルの名物です。名物料理がこれだけパッと思い浮かぶホテルのレストランを、私はほかに知りません。

-末吉総支配人の自己紹介もお願いいたします。

末吉 もともとホテルが大好きで、大学生時代には業界人やホテルマニアが読む月刊誌「The Hotel」を定期購読していました。その頃叔父に連れて行ってもらったのが横浜ニューグランドホテルで、大人の世界に初めて足を踏み入れたのだと興奮したことは今でも忘れられません。

 しかし大卒後に就職したのはホテルではなく鉄道会社の東急電鉄でした。入社から10年ほどして、海外の仕事をしたいとの希望が叶い海外事業部に配属され、当時、東急グループの海外ホテル事業を担っていたパン パシフィック・ホテルズ・アンド・リゾーツを担当することになりました。それが仕事としてのホテルとの出会いでした。世界各地のパン パシフィック ホテルとの仕事を通じて、ラグジュアリーホテルとは、海外のホテルとはどういうものかを学びました。1997年には日本初上陸のパン パシフィック ホテル横浜で開業スタッフに加わり、以降5年間勤務したのが現場キャリアの出発点でした。その後、ハワイ島の高級リゾート「マウナ・ラニ・リゾート」の副社長を務め、ハリウッドスターが数多く訪れるようなラグジュアリーホテルの魅力に取り憑かれていきました。

 余談ですが2人の娘が両方ともホテリエになりました。「大変な仕事だからホテルは止めておけ」とアドバイスしたのに、なぜかを問うと「父さんが楽しそうに働いているから」なのだと。それを聞いて自分が選んだ道は間違ってなかったと思うことができました。

-コロナ禍の影響はいかがですか。

末吉 世界に通用する日本一のラグジュアリーホテルを目指して外国人富裕層の獲得にも力を入れ、コロナ前は外国人宿泊比率が75%に達し、稼働率も80%弱と順調でした。ところがコロナ禍で外国人需要が消失していまい、現在の稼働率は20%前後です。

 宴会需要もなくなりましたが、唯一健闘しているのが料飲部門です。名物メニューのおかげで都内でも類を見ないほど賑わっています。レストランのファンが多く、コロナ下でも「ORIGAMI」の排骨麺を食べずにはいられない、30年来顔を合わせているレストランのマネージャーと言葉を交わさずにはいられないというお客様が数多く訪れてくださいます。

 私たちはお客様との関係が大切だと思っています。経営が振るわないからと合理化、効率化を求め、マルチタスク化やチェーン内での流動的な人員配置などを行うホテルもありますが、顧客との関係が断ち切られてしまうと考え、我々は原則それをせずにきました。腕の良い料理人がいてサービススタッフも優秀。コロナ禍だろうが戦争が起きようがホテルのレストランをお客様であふれさせる自信があります。

次ページ >>> コロナ禍でもサービスの手は緩めず