元銀行マンにして電通マン、創業150年超の老舗が挑むIT活用と再開発プロジェクト-大和屋本店 奥村敏仁氏
いま力を入れているのは道後上人坂の再開発
事業継続のために必要なことは、雇用維持や地域インフラを整えること
元銀行マンにして電通マン。「能」に通じ、IT子会社の代表も務めるという異色の経歴と多彩な才能に恵まれた大和屋本店の奥村敏仁社長。現在は新たな発想に基づく地域再開発にも取り組んでいる。コロナ禍後の観光需要復活に備える奥村社長の思いを伺った。(聞き手:弊社代表取締役社長兼トラベルビジョン発行人 岡田直樹)
奥村敏仁氏(以下敬称略) 大和屋本店は慶応4年(明治元年)の創業で2019年には150周年を迎えました。昭和元年に木造旅館の東側に道後初の鉄筋コンクリート4階建ての洋館を建設し、洋館を「大和屋本店」、木造旅館を「大和屋支店」としました。昭和43年(1968年)には現在地に移転し規模を拡大し大型温泉旅館に改装。さらに1994年から2年間かけて全館を建て替えて、個人客とコンベンション、婚礼需要が主力の旅館として96年8月に改築開業しました。
私は大学卒業後、三和銀行に就職し融資担当などを9年間務めた後に、電通西日本に転職し松山支社に勤務していましたが、2012年に大和屋本店に専務として入社し19年に社長就任となりました。
前社長は本家筋の従兄弟で前々社長は私の父でした。専務で入社した際には手伝いのつもりでしたが、前社長が体調を崩したため社長に就任したいわば中継ぎ役です。
奥村 94年当時はすでにバブルがはじけていましたが道後温泉を取り巻く環境は悪くありませんでした。98年には明石大橋開通、99年にはしまなみ海道開通を控えており、改築資金の融資を受けやすいという事情があったのだと思います。
ちなみに能舞台「千寿殿」を館内に造ったのもこの時の改築でした。当時の社長だった私の父が能の喜多流を習っており「文化の継承も旅館の役割だ」という考えを持っていたこともあり、フル規格の能舞台を4億円かけて造りました。私は大和屋本店の入社当日に喜多流に入門させられ、毎週火曜は朝9時から1時間の稽古を終えてから出社することになりました。いまでは先生のお手伝いで舞台に立つこともあります。