甘くほろ苦いチョコレートの旅(2)オーストリア、デメル

  • 2009年2月10日
 壮麗な宮殿を見学したり、美術館・博物館を訪れたり、また音楽家ゆかりの地巡りなど、ウィーンの旅の楽しみは多い。そんななか、ぜひ試してみたい事柄のひとつに「本場のザッハトルテを食べる」がある。オーストリアを代表する菓子であり、「チョコレートケーキの王様」とも称されるザッハトルテは、アプリコットのジャムを塗ったチョコレート味のスポンジを、チョコレートでコーティングした濃厚なケーキ。オーストリアを訪れるパッケージツアーでは、食後のデザートで用意されていることも多い。







 ザッハトルテで世界的に知られる老舗のひとつに、200年以上の歴史をもつデメルがある。ブランドマークはハプスブルク家の紋章である双頭の鷲。高貴なマークがウィーン王宮の御用達であった歴史と、由緒の正しさを物語っている。

 1786年、皇室や貴族専用の菓子職人であったルートヴィッヒ・デーネが、王宮劇場前に店を開いたのがデメルのはじまり。やがて貴族に支持されるようになった店は、1799年にウィーン王宮御用達の菓子司となる。当時、店と劇場は地下道でつながれ、催し物があるたびに菓子がそこを運ばれていた。最初のアシスタントだったクリストフ・デメルが1857年に店の経営を引継ぎ、店名が「デメル」となった。

 しかし、ザッハトルテの発祥は実はデメルではない。その起こりは16歳の料理人のフランツ・ザッハが1832年に作ったチョコレートケーキだ。フランツはやがて独立し、菓子店を開業。息子の代にカフェを併設したホテル「ホテル・ザッハ」がオープンし、その名物となる。

 ザッハ家で門外不出とされたザッハトルテを、なぜデメルが扱うようになったのか。それは第二次世界大戦中、ユダヤ人であるザッハの家族が国外へ逃亡した際、デメルがザッハの名を冠したチョコレートケーキを販売しはじめたことによる。デメルはホテル・ザッハが財政難となった際に援助をしており、ザッハの息子とデメルの娘が結婚していた。その結果レシピが伝わったのだという。

 このため、ザッハは1938年にデメルを提訴。7年に及ぶ裁判の結果、双方のケーキをザッハトルテとして売ることが認められた。どちらかのケーキが消えてしまうことを案じたファンが、裁判所に嘆願書を送ったともいう。裁判はザッハのケーキをオリジナルとし、ケーキに載せるチョコプレートについて、ザッハは円いものを、デメルは三角形のものを用いるよう定めた。この「甘い戦争」は、ザッハトルテの名をより広く知らしめる結果となった。

 ウィーンのデメル本店は、王宮前から北東に延びるコールマルクトにある。建物はサロンのように優雅なロココ調で、雰囲気の違ういくつもの部屋に分かれている。この建物の3階で、かつてカーターとブレジネフの米ソ首脳会談が開かれたのは、いかにもウィーンらしい話だ。ケーキ、焼き菓子、チョコレートなど、菓子の種類の多さはウィーン随一。もちろんザッハトルテもあるので、かつての「甘い戦争」に思いを馳せながら味わってみたい。

 なお、ホテル・ザッハのザッハトルテは、オーストリアの店に行くか空輸で取り寄せるかしなければ味わえないが、デメルは日本にも進出している。計12店舗を展開しており、原宿本店にカフェをもつ。チョコレートも評判が高く、老舗の高貴な雰囲気が漂うデメルの商品は、バレンタインのみならずお世話になっている人へのお礼の品としてうってつけだ。


▽デメル・ジャパン
http://www.demel.co.jp/


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