法律豆知識(122)、旅行業者のリスク管理−免責の線引きとは(その2)
<なぜ、旅行業者は免責されたか>
大阪地裁判決では、スキューバダイビングの受講生1人が死亡したという重大事故が発生したにもかかわらず、ライセンス取得ツアーを企画した旅行業者の責任は問われなかった。その最大の要因は、普段からの「リスク管理体制」がしっかりと構築されていたことだろう。この旅行業者は、ダイビングスクール選定の選定基準として、
(1)現地ガイド歴5年以上の経験を持つインストラクタ−が1人以上いること、
(2)常勤インストラクタースタッフが2人以上いること、
(3)10億円以上の保険に加入していること、
(4)過去にダイビングショップ側の過失が原因の重大事故が発生していないこと
を定め、現実にこの要件を全て満たすダイビングスクールを選定していた。
裁判所はこの選定基準について、「ダイビングサービスの運営実態に沿った客観的、実効的かつ現実的な基準であり、ダイビングショップの選定基準として適正かつ妥当なものと評価することが出来る」と判断。このような基準を満たしているダイビングスクールを選定した以上、「それ以上にダイビング業者の内部的な安全教育の内容・程度・個々のインストラクターの技量・経験の程度、非常事態の際の対応等につき、個々具体的に調査することは困難であり」、旅行業者にとって、「本件事故の発生は認識・予見することはできなかったものと言わざるを得ない」と判断した。
<「リスク管理」の重要性>
私は弁護士として様々な業界のリスク管理に接してきた。その経験からすると、旅行業界は業務が常に危険と向き合っているにも関わらず、「リスク管理体制」の構築という点で、かなり遅れているというのが正直な実感である。その中で、このような、選定基準を設けている旅行業者がいることは、頼もしく感じる。
ただし、この旅行業者の選定基準は、やや簡略な印象を受ける。過去のスクールの運営実績、より具体的に言えば、今までの開講期間や受講数なども基準に入れると、更に充実できる。しかし、判例からはこの程度の選考基準でも免責されうるということが重要である。日頃の「リスク管理体制」が、いかに重要かを理解してもらえるだろう。
「リスク管理」を徹底することは、事故が起きた時に免責されるだけでなく、事故の発生そのものを限りなくゼロに近づけるということであり、それが第一の目的である。
大きな事故の前には、多数の小さなトラブルがあったはずである。そのトラブル例を確実に収集できる体制作りも、「リスク管理」として、極めて重要である。現場からあがってくる情報のほか、クレーム情報も貴重である。これらの情報を分析して、なぜトラブルが起きたかを突き止め、必要な対処をするとともに、選定基準も常に見直す努力が必要である。
このような日常の努力は、事故の発生を限りなくゼロに近づけ、万が一にも事故が起きた場合は、免責を受け得ることになる。
<ダイビングスクールとインストラクターが責任を問われたことに注意>
本件では、ダイビングスクールとインストラクターが共に責任を問われ、連帯して約8530万円の損害賠償を命じられている。その理由は、当該のダイビングスクールには、「リスク管理体制」が構築されていなかったからだ。
死亡した受講生Aは、ダイビングはほとんど未経験であったにもかかわらず、午前中にプール実習しただけで、その日の午後には海洋実習に入っている。しかもAは、「プール実習に於いて、予定時間を2時間近く超過する訓練が必要となるほどレギュレータークリア等の実技の訓練に失敗し、各実技につき1回しか成功していなかった」という。裁判所は、Aは「基本的潜水技術を十分に習得できなかったと言わざるを得ない」と認定している。
こうした状況があったにも関わらず、このダイビングスクールはAを、沖合120メートル、水深4.2メートルの海洋で実習させた。その最中、Aは海底でマスクの脱着訓練の時、息苦しさを訴え、インストラクターと共に海面に浮上したが、その後意識を失った。病院に搬送され入院治療を受けたが、10日後に死亡。判決では水を吸飲したことによる溺死と認定された。
裁判所は、スクールとインストラクターに、「基本的潜水技術を十分に習得していなかった」者を「同技術を習得するまで海洋実習を行うことを控えるか、海洋実習を行うにしても足が立つ浅瀬で訓練を継続すべき注意義務」があり、本件では「漫然と本件ダイビング地点に連れ出した過失が認められる」と認定した。
スキューバーダイビングはそれ自体、高度に危険を伴うものである。海洋実習をさせるには、いかなるレベルの技量が必要か、十分に検討し、受けさせるための明確な基準を設けておくべきで、技量に応じたプログラムが必要だったはずである。
そのような「リスク管理」体制を普段から構築しておけば、そもそも本件の事故は起きなかったかもしれないし、起きてしまった場合には、綿密な原因の究明がなされ、ダイビングスクールやインストラクターの「安全配慮義務」を越えた不可抗力によるものとして、免責される余地もでてきたはずである。
いずれにせよ、本件は「リスク管理体制」の必要性を教えてくれる格好の事例である。
<次回は、今回の検討を前提に、カラコルムハイウェイ事件を検討してみよう>
=====< 法律豆知識 バックナンバー>=====
第121回 旅行業者のリスク管理(その1)
第120回 航空会社に預けた受託手荷物の紛失(その3)
第119回 航空会社に預けた受託手荷物の紛失(その2)
第118回 航空会社に預けた受託手荷物の紛失(その1)
第117回 日本のADRの現状:簡易裁判所から消費者センター
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※本コーナーへのご意見等は編集部にお寄せ下さい。
編集部: editor@travel-vision-jp.com
執筆:金子博人弁護士[国際旅行法学会(IFTTA)理事、東京弁護士会所属]
ホームページ: http://www.kaneko-law-office.jp/
IFTTAサイト: http://www.ifta.org/
大阪地裁判決では、スキューバダイビングの受講生1人が死亡したという重大事故が発生したにもかかわらず、ライセンス取得ツアーを企画した旅行業者の責任は問われなかった。その最大の要因は、普段からの「リスク管理体制」がしっかりと構築されていたことだろう。この旅行業者は、ダイビングスクール選定の選定基準として、
(1)現地ガイド歴5年以上の経験を持つインストラクタ−が1人以上いること、
(2)常勤インストラクタースタッフが2人以上いること、
(3)10億円以上の保険に加入していること、
(4)過去にダイビングショップ側の過失が原因の重大事故が発生していないこと
を定め、現実にこの要件を全て満たすダイビングスクールを選定していた。
裁判所はこの選定基準について、「ダイビングサービスの運営実態に沿った客観的、実効的かつ現実的な基準であり、ダイビングショップの選定基準として適正かつ妥当なものと評価することが出来る」と判断。このような基準を満たしているダイビングスクールを選定した以上、「それ以上にダイビング業者の内部的な安全教育の内容・程度・個々のインストラクターの技量・経験の程度、非常事態の際の対応等につき、個々具体的に調査することは困難であり」、旅行業者にとって、「本件事故の発生は認識・予見することはできなかったものと言わざるを得ない」と判断した。
<「リスク管理」の重要性>
私は弁護士として様々な業界のリスク管理に接してきた。その経験からすると、旅行業界は業務が常に危険と向き合っているにも関わらず、「リスク管理体制」の構築という点で、かなり遅れているというのが正直な実感である。その中で、このような、選定基準を設けている旅行業者がいることは、頼もしく感じる。
ただし、この旅行業者の選定基準は、やや簡略な印象を受ける。過去のスクールの運営実績、より具体的に言えば、今までの開講期間や受講数なども基準に入れると、更に充実できる。しかし、判例からはこの程度の選考基準でも免責されうるということが重要である。日頃の「リスク管理体制」が、いかに重要かを理解してもらえるだろう。
「リスク管理」を徹底することは、事故が起きた時に免責されるだけでなく、事故の発生そのものを限りなくゼロに近づけるということであり、それが第一の目的である。
大きな事故の前には、多数の小さなトラブルがあったはずである。そのトラブル例を確実に収集できる体制作りも、「リスク管理」として、極めて重要である。現場からあがってくる情報のほか、クレーム情報も貴重である。これらの情報を分析して、なぜトラブルが起きたかを突き止め、必要な対処をするとともに、選定基準も常に見直す努力が必要である。
このような日常の努力は、事故の発生を限りなくゼロに近づけ、万が一にも事故が起きた場合は、免責を受け得ることになる。
<ダイビングスクールとインストラクターが責任を問われたことに注意>
本件では、ダイビングスクールとインストラクターが共に責任を問われ、連帯して約8530万円の損害賠償を命じられている。その理由は、当該のダイビングスクールには、「リスク管理体制」が構築されていなかったからだ。
死亡した受講生Aは、ダイビングはほとんど未経験であったにもかかわらず、午前中にプール実習しただけで、その日の午後には海洋実習に入っている。しかもAは、「プール実習に於いて、予定時間を2時間近く超過する訓練が必要となるほどレギュレータークリア等の実技の訓練に失敗し、各実技につき1回しか成功していなかった」という。裁判所は、Aは「基本的潜水技術を十分に習得できなかったと言わざるを得ない」と認定している。
こうした状況があったにも関わらず、このダイビングスクールはAを、沖合120メートル、水深4.2メートルの海洋で実習させた。その最中、Aは海底でマスクの脱着訓練の時、息苦しさを訴え、インストラクターと共に海面に浮上したが、その後意識を失った。病院に搬送され入院治療を受けたが、10日後に死亡。判決では水を吸飲したことによる溺死と認定された。
裁判所は、スクールとインストラクターに、「基本的潜水技術を十分に習得していなかった」者を「同技術を習得するまで海洋実習を行うことを控えるか、海洋実習を行うにしても足が立つ浅瀬で訓練を継続すべき注意義務」があり、本件では「漫然と本件ダイビング地点に連れ出した過失が認められる」と認定した。
スキューバーダイビングはそれ自体、高度に危険を伴うものである。海洋実習をさせるには、いかなるレベルの技量が必要か、十分に検討し、受けさせるための明確な基準を設けておくべきで、技量に応じたプログラムが必要だったはずである。
そのような「リスク管理」体制を普段から構築しておけば、そもそも本件の事故は起きなかったかもしれないし、起きてしまった場合には、綿密な原因の究明がなされ、ダイビングスクールやインストラクターの「安全配慮義務」を越えた不可抗力によるものとして、免責される余地もでてきたはずである。
いずれにせよ、本件は「リスク管理体制」の必要性を教えてくれる格好の事例である。
<次回は、今回の検討を前提に、カラコルムハイウェイ事件を検討してみよう>
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第121回 旅行業者のリスク管理(その1)
第120回 航空会社に預けた受託手荷物の紛失(その3)
第119回 航空会社に預けた受託手荷物の紛失(その2)
第118回 航空会社に預けた受託手荷物の紛失(その1)
第117回 日本のADRの現状:簡易裁判所から消費者センター
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