恐怖とチャレンジ精神-ベルトラ創業者 荒木篤実氏
数年ぶりにインドネシアを訪問した際、驚いたことがある。それは、ネットで即時発行された一時滞在ビザと、空港の出入国時の自動ゲートである。あれほど近代化に超遅れたインドネシアが、ITで一気にここまで激変したかと驚愕。隔世の感であった。
日本も出入国ゲートの自動化は数年前に実現したものの、コロナの頃のアナログ対応は実にひどいもので、あちこちでクレームが多発していた。なんども同じ書類を提示させられ、何を目的にしているかさえ不明な状態だった。これは決して、出入国プロセスだけの話ではない。ここ最近の令和米騒動も、根本原因は同じである。つまり過剰なまでの神経質な形式主義や、既得権優越思考、これらが生みだすナンセンスな手続き重視が、結果として世界的な競争力低下を招いている。
第三者的に公平にみても、本来とても勤勉で優秀なはずの日本国民が、どうしてこのような失われた30年からいまだ立ち直れないのか、そのきっかけすらみつけられないのか。
思うにその根本原因は、何かを真剣に成し遂げようとするパワーが決定的に欠けていることにあるように思う。なぜそうなったのか、本質的原因はただ1つ、それは「恐怖思考」ではないかと考えている。
怖れにもいろいろある。移民に国をのっとられるかもしれない恐怖、ルールを変えてしまうことで失敗時の責任をとらされる恐怖、平穏無事な出世ルートが消滅する恐怖。いずれも保身がらみの怖れが、変化を受け入れるマインドを封印してしまっているように思う。
昭和の高度成長時代、私の親世代にとっては、失うものがない、つまり全国民をあげて前進あるのみ、の時代だったのだろう。その昭和最後のバブル崩壊で、方向性が変わったとはいえ、それも見方を変えれば大きなチャンスだったはずだ。なのに、どうしてこうも日本人は挑戦することをやめてしまったのだろうか。
歴史を紐解きながら、高度成長期の前、つまり戦前で日本人が1番がんばったのは明治維新から日露戦争の頃だったように思う。それはもう120年は昔の話だ。実質経済成長率が年平均10%前後を記録した高度成長期を、1965年頃が中心と考えると、そのまた60年前だ。どうやら日本人は60年に一度しか、本気でパワーをだせるタイミングがないのかもしれない。
だとしたら、いまこの機会を逃すわけにはいかない。60年といえば、赤ん坊が初老になるぐらいの時の長さである。若くしてこの変革の時代に巡り会えた若者なら、これほどのラッキーはない。その意味ではAIが大きく世界を変えようとしている今こそ、すべてを見直す好機である。
旅行業界といえば低利益体質。つまり低付加価値での不毛な価格競争に奔走しているうちは、いつまでたっても世間、特に金融業界からばかにされつづけるだろう。見返してやるためには、高付加価値とは何で、それを誰がもとめているか、よくよく考えて勝負すべき。最近、特にそう思うことが多くなった。品質軽視で、安かろう悪かろうのサービスを、数の暴力で売り捌くアジア系のエージェントをみていると特に強くそう思う。
冒頭のインドネシア訪問時、日本人より韓国人の方が、積極的に海外旅行にいくようになった現場をみてきた。1泊10万円以上する高級ホテルは、たしかに韓国人カップルであふれていた。その料金の中身をインスペクションすると、決して高い買い物でもない、と思える要素が多々あった。こういう目利きをしっかりできるかどうか、高い安いだけではなく、そのそれぞれのバリューを顧客にどう説得できるか、これこそがこの大きなAI変革期に、我々が頭を使うべきポイントだと再認識した旅であった。
パクサヴィア創業パートナー。日産自動車勤務を経て、アラン(現ベルトラ)創業。18年1月から現職。ベンチャー経営とITマーケティングが専門。ITを道具に企業成長の本質を追求する投資家兼実業家。