法律豆知識(115)、航空会社とのトラブル−なぜ日本人の訴訟が少ないのか
<はじめに>
私の属する国際旅行法学会(IFTTA)の会議では、ヨーロッパやアメリカからの参加者が豊富な判例を紹介しながら議論する。しかし、日本人の私はそれが全くできない。紹介すべき判例が極に少ないからだ。
例えば、本コーナーの第113回で説明した「フライトの遅延」は、判例集に1例も載っていない。他方、欧米には、この分野の判例は豊富だ。本コーナーの第100回や第101回で、ハンガリーの先生が紹介してくれたケースを掲載したが、このような判例はヨーロッパにはいくらでもある。
なぜ、このような極端な差がでるのだろうか。それは、やはり日本人がとにかく訴訟が嫌いという国民性がある。これを彷彿させる投稿を頂いたので紹介しよう。
<本コーナーへの投稿>
<本ケースの問題点>
いずれの航空会社か判らないが、「搭乗客が少ないから」フライトキャンセルがされたとのこと。ずいぶん乱暴なことである。
これは、典型的な「故意」のケースであり、モントリオ−ル条約によっても、上限はなくなる(もっとも、キャンセルは遅延と違って条約に定めがなく、もともと無制限という解釈も成り立つが、日本では、その点を議論した判例はない)。こんなことをすれば、欧米ではすぐ訴訟になるだろう。しかし、日本人は、それをしようとしない。
日本路線の場合は、搭乗客が少ないという理由だけでフライトキャンセルしても、訴訟を起こされるおそれはまずない(判例も無い)ので、このようなことを平気でする航空会社もあるのだろうか。日本人は、訴訟をしないのでナメられているのだ。
<本投稿への回答は残念ながら不可能>
私は弁護士を30年間務めているが、その経験からすると、日本人が訴訟を好まない理由は極めて簡単である。それは、訴訟という手間と費用のかかることを自らしたくないからだ。
日本人が大好きなテレビ番組に「水戸黄門」がある。庶民が困っていると、突然、水戸黄門が登場し、「これが、目に入らぬか」と「葵の印籠」という絶対的権威で全てを解決してくれる。庶民は、解決のための手間と費用とをかける必要はない。毎回同じパターンなのに不滅の人気を維持しているのは、この解決方法こそ、日本人がもっとも期待しているものだろう。
他方、欧米人は「葵の印籠」の権威で救済してもらえるとは思っていない。自分の権利が侵害されたと思えば、自分の負担でその回復をはかる。交渉がうまくいかなければ、当然訴訟となる。その結果、訴訟は日本に比べ圧倒的に多い。
投稿者は、「今後も就航している各路線で同じ事が繰り返される場合、善後策は見出せるのかご意見を」とのことだ。しかし、私は水戸黄門でなく、その「善後策」を出せすことはできない。権利が侵害されたならば、自らの負担で解決を図るしかない。「憤りを感じるのは当然ではないのでしょうか」と言う気持ちは理解できるものの、水戸黄門的な対処ができるわけでもない。
補償について、「航空会社から得られるもの」についても、本人が手間と費用をかけて権利行使するかどうかにかかっている。言えることは、今の世の中に「葵の印籠」の権威は存在せず、必要な努力を自らしなければ、何も得られないということだ。
「掲載記事の通り金子弁護士のコメント通り補償には限度なく、航空会社から得られるものか」という問いも、回答できない。交渉に失敗したのならば、次の手段は、訴訟をすることになる。勿論相手は抗弁として様々な説明をするだろう。しかし、そこで戦わなければ得れるものはない。それが訴訟なのだ。
世の中には裁判所があり、法的紛争はそこで解決する。もっとも、日本で今後、航空会社相手の訴訟が増え、航空会社関係を専門に扱えるADR(裁判所外紛争処理機関)を設立しようという気運が出てくるとすれば、請求する側の負担はかなり軽減される。
結局、航空会社とのトラブルを効果的に解決するための最善の「善後策」は、日本人も、欧米人のように自分の権利は自らの負担で守り、かつ回復するという意識を持つことだ。これによって、航空会社の社会的スタンスも変えられるし、ADRのようなより効率的なシステムの導入も可能になるであろう。
<次回は、続編として裁判所の上手な活用の仕方を説明しよう>
私の属する国際旅行法学会(IFTTA)の会議では、ヨーロッパやアメリカからの参加者が豊富な判例を紹介しながら議論する。しかし、日本人の私はそれが全くできない。紹介すべき判例が極に少ないからだ。
例えば、本コーナーの第113回で説明した「フライトの遅延」は、判例集に1例も載っていない。他方、欧米には、この分野の判例は豊富だ。本コーナーの第100回や第101回で、ハンガリーの先生が紹介してくれたケースを掲載したが、このような判例はヨーロッパにはいくらでもある。
なぜ、このような極端な差がでるのだろうか。それは、やはり日本人がとにかく訴訟が嫌いという国民性がある。これを彷彿させる投稿を頂いたので紹介しよう。
<本コーナーへの投稿>
本コーナーの第113回で、フライトの遅延によって生じた損害賠償につき、モントリオール条約で定める上限を約款や国内法で別途定めれば、かさ上げできること、故意の場合は制限がなくなることを説明した。
これに対し、投稿では「実際には全く違います」と前置きし、以下のような経験談を寄せてこられた。
−旅行の概要は、
「2005年12月3日 01時25分 関空発予定/5名様/バンコクでゴルフ2プレイと観光。全行程4日間」
−相談は以下のようなもの。
タイ・バンコクにゴルフを楽しむため、関空発の深夜便で予約。手配依頼は、往復格安航空券、ホテル、ゴルフ、観光と送迎専用車。
出発当日に、航空会社からホールセラーを通じ、フライトキャンセルになった旨、電話を受けた。出発は、翌朝出発する同じ航空会社の便という事。
航空会社がバンコクから日本へ向けて出発する時間になって、フライトキャンセルになった連絡を希望してきました。
私が予約を頂いたお客様は、週末と土日の休みを上手く活用し、金曜日に仕事を終えて旅行に行くことを計画。当然、予定通り出発するものと、当日を迎えた。そして、フライトキャンセルになった事実を関空に向かっている、あるいは向かう前にお伝えすることとなる。
幹事さんに事情を説明して、一旦帰宅するように申し上げた。なぜなら、翌日出発する時間が決まっていたからだ。
結果的に、当初の予定であった現地に翌朝着後、予定したゴルフはキャンセル、1プレイ出来なくなり、ゴルフ代金は返金する旨を説明し、納得いただいた。翌日、午前に出発する同航空会社の便でバンコクへ出発。
〜中略〜
さて、ここからが本題です。
現地で顧客がフライトキャンセルの理由を、「搭乗客が少ないから」と、現地の航空会社に関わる方から聞かされた。もちろん、帰国後もそのことが問題となり、「なぜか?」、「補償されないのか?」など、質問や意見、要望を伺った。さっそく、航空会社やホールセラーと話したが、航空会社は事実も知らせず、補償もしない。
弊社はゴルフ代金で得られる利益が不履行となった。しかし、われわれが“泣き寝入り”することや“諦めるのを待つ”という姿勢が、航空会社側に見受けられる。これでは、現場が苦労し営業努力して、顧客のリピート化を図る取り組みが、生かせぬまま終わる事も否めない。
しかも、お詫びも補償も全く無い。
旅行日程を円滑に進めるサービスを提供する旅行会社の責任として、正確な情報と受注した手配内容を明確にして顧客に提案し、契約をする旅行業ならば、きちんとした説明をお客様にするのも、通常、行っている基本的な業務です。
それに対し、一方の航空会社は何の責任も果たさず、ただ目的地に搭乗客を運べば済むと思っているのではないかと、憤りを感じるのは当然ではないでしょうか?
そこでご指導を賜りたいのですが、掲載記事の通り金子弁護士のコメント通り補償には限度なく航空会社から得られるものかどうか、得られるのであればどういう手続きなのか。また、今後も就航している各路線で同じ事が繰り返される場合、善後策は見出せるのか、ご意見を賜りたく存じます。
※トラベルビジョンで一部、加筆修正しております。
<本ケースの問題点>
いずれの航空会社か判らないが、「搭乗客が少ないから」フライトキャンセルがされたとのこと。ずいぶん乱暴なことである。
これは、典型的な「故意」のケースであり、モントリオ−ル条約によっても、上限はなくなる(もっとも、キャンセルは遅延と違って条約に定めがなく、もともと無制限という解釈も成り立つが、日本では、その点を議論した判例はない)。こんなことをすれば、欧米ではすぐ訴訟になるだろう。しかし、日本人は、それをしようとしない。
日本路線の場合は、搭乗客が少ないという理由だけでフライトキャンセルしても、訴訟を起こされるおそれはまずない(判例も無い)ので、このようなことを平気でする航空会社もあるのだろうか。日本人は、訴訟をしないのでナメられているのだ。
<本投稿への回答は残念ながら不可能>
私は弁護士を30年間務めているが、その経験からすると、日本人が訴訟を好まない理由は極めて簡単である。それは、訴訟という手間と費用のかかることを自らしたくないからだ。
日本人が大好きなテレビ番組に「水戸黄門」がある。庶民が困っていると、突然、水戸黄門が登場し、「これが、目に入らぬか」と「葵の印籠」という絶対的権威で全てを解決してくれる。庶民は、解決のための手間と費用とをかける必要はない。毎回同じパターンなのに不滅の人気を維持しているのは、この解決方法こそ、日本人がもっとも期待しているものだろう。
他方、欧米人は「葵の印籠」の権威で救済してもらえるとは思っていない。自分の権利が侵害されたと思えば、自分の負担でその回復をはかる。交渉がうまくいかなければ、当然訴訟となる。その結果、訴訟は日本に比べ圧倒的に多い。
投稿者は、「今後も就航している各路線で同じ事が繰り返される場合、善後策は見出せるのかご意見を」とのことだ。しかし、私は水戸黄門でなく、その「善後策」を出せすことはできない。権利が侵害されたならば、自らの負担で解決を図るしかない。「憤りを感じるのは当然ではないのでしょうか」と言う気持ちは理解できるものの、水戸黄門的な対処ができるわけでもない。
補償について、「航空会社から得られるもの」についても、本人が手間と費用をかけて権利行使するかどうかにかかっている。言えることは、今の世の中に「葵の印籠」の権威は存在せず、必要な努力を自らしなければ、何も得られないということだ。
「掲載記事の通り金子弁護士のコメント通り補償には限度なく、航空会社から得られるものか」という問いも、回答できない。交渉に失敗したのならば、次の手段は、訴訟をすることになる。勿論相手は抗弁として様々な説明をするだろう。しかし、そこで戦わなければ得れるものはない。それが訴訟なのだ。
世の中には裁判所があり、法的紛争はそこで解決する。もっとも、日本で今後、航空会社相手の訴訟が増え、航空会社関係を専門に扱えるADR(裁判所外紛争処理機関)を設立しようという気運が出てくるとすれば、請求する側の負担はかなり軽減される。
結局、航空会社とのトラブルを効果的に解決するための最善の「善後策」は、日本人も、欧米人のように自分の権利は自らの負担で守り、かつ回復するという意識を持つことだ。これによって、航空会社の社会的スタンスも変えられるし、ADRのようなより効率的なシステムの導入も可能になるであろう。
<次回は、続編として裁判所の上手な活用の仕方を説明しよう>