トルコ・エスキシェヒル、新たな観光デスティネーションとして高い潜在力

  • 2019年10月8日

隈研吾氏設計「OMM」もオープン
フリギア渓谷の商品開発で日本人分散化を

深遠なる紀元前のフリギア文明、観光開発の切り口も多数

ゴルディオンにあるミダス王の墳墓への入口

 エスキシェヒルを拠点とした観光ルートとして、南東に広がるフリギア渓谷も訪れた。フリギア人が欧州からこの地に移住してきたのは紀元前12世紀頃で、紀元前8世紀ごろに王国を建てたと言われている。活字記録が残ってないため、遺跡の発掘からそう推測されているのだという。日本で言えば、縄文時代後期から弥生時代にかけてのことだ。もっとも、古代メソポタミア文明を生んだユーフラテス川とチグリス川を源流に持つトルコからすれば、そう古くはないかもしれないが。

木造構造体のなかにミダス王が埋葬されていたという

 このフリギア王国で鍵となる人物がミダス王。ギリシャ神話にも登場する。古代の神話と史実、そして寓話が交じるので話がややこしくなるが、日本人にとっても、「王様の耳はロバの耳」の王様がミダス王だと知れば少しは親近感が湧くかもしれない。王様の秘密を知ってしまった理髪師が地面に穴を堀りその中に秘密を叫んだら、穴の跡から生えた葦が風に揺れるたびに「王様の耳はロバの耳」とささやき、秘密が国中に知れ渡ってしまったというあの話だ。

 そのミダス王が埋葬されていたと言われる古墳が、ゴルディオンという村に残っている。小高い丘は権威の象徴。その内部に入ると、木造の構造体に囲まれた空間が現れた。崩落を防ぐために頑丈な鉄枠で補強されている。1957年に考古学者が発掘し、葬祭の遺物からミダス王の墓ではないかと言われている。しかし、いくら何十世紀にもわたって封印されていたとは言え、紀元前8世紀頃の木造構造体が現代まで朽ちていないのは驚きというほかない。

長大な歴史を実感する遺跡の数々

ペシヌスのキュベレ(守護神)神殿跡

 ミダス王はペシヌスという町に神殿や劇場を備えたアクロポリスを築いた。フリギア王国時代には重要な宗教儀式が行われた所だが、現存するキュベレ(守護神)神殿跡は時代がもっと下ったローマ時代もの。1967年にベルギーの大学によって発掘された。現在は牛や羊の集団が人の歩みを遮るような長閑な田舎の村で、観光客もほとんど来ないという。それだけに時間が止まったようで、崩れた遺跡の存在感も増してくる。

神殿跡のとなりには、半円形状の劇場跡がある

 また、ヤジリカヤは、ゴルディオン、ペシヌスと並んでフリギア文明で重要な場所。ここでのハイライトは、牧歌的な平原の小高い丘にそびえる「ミダス・モニュメント」。ミダス王を崇めるために、凝灰岩の岩山を削って紀元前7世紀から紀元前6世紀ごろに建てられた。巨大なファサードの下には空洞が作られ、そこにキュベレ(守護神)の石像を入れ込み、拝んでいたという。トルコではヒッタイト時代の紀元前14世紀頃には製鉄技術があったといわれているから、このモニュメントも鉄器で作られたのかもしれない。

ファサードの幾何学文様が特徴的なミダス・モニュメント

 モニュメントの横には、見た目にも奇妙な石窟がある。「40室の部屋」と別称されるクルクギョズカヤだ。ミダス・モニュメントよりも時代は下りローマ時代やビザンチン時代、一枚岩をくり抜いて住居、墓、修道院が集まるコミュニティ空間が作り上げられた。フリギア渓谷にはさまざまな生活用途のため人工的に作られた石窟奇岩が多く点在しており、しかも同じ丘の上で違う時代が交差しているためトルコの歴史の奥深さを実感させられる。

ミダス・モニュメントがあるヤジリカヤには地元料理のランチが楽しめるコテージ「Midas Han」もある。オーナーは女性考古学者だ

 ミダス・モニュメントからは山々に沿って、ハイキングトレイルも整備されている。その途中まで地元ヤズル村のベイセル村長に案内してもらった。村長によると、この山の上にはヒッタイトやフリギアの時代にアクロポリスがあったという。また、この地下にも都市があった可能性があるというから驚きだ。

 トレイルはとても静かだが、「今は春と夏に年2、3万人が訪れます」とベイセル村長。日本人も以前は訪れていたという。フリギア渓谷をツアー化するなら、専門知識の豊富な日本語ガイドが必須というのは同行した旅行会社の声。深遠なトルコの歴史と文化と自然。それだけに新しいデスティネーション開発の切り口は多そうだ。