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通訳案内士のインバウンド考:第1回 旅行者の胃袋をつかめ

  • 2010年8月3日
 女性誌で時として「男子をオトすには胃袋をつかめ」というようなくだりがあります。「料理上手な女子は男子を逃さない!」らしいのですが、これは旅行業界にも通用するのではないかと常々思います。食事の満足度が高いと旅行の満足度もアップし、お客様により一層喜んでいただけますよね。みなさま、お客様のハートと胃袋、がっちりつかんでいますか?グルメな日本人観光客を相手にするアウトバウンドと同様に、インバウンドでもこれは大事なポイントです。現役の英語の通訳案内士、旅野朋の連載第1回では、万国共通の関心事、「食」について考えてみました。


新企画ご案内

 新コーナー「インバウンド最前線」をはじめます。国の後押しを受けてインバウンドビ
ジネスが熱を帯びていますが、本当に満足のいく旅行を提供しなければ、日本の観光旅行
の評判は台無しとなり、インバウンドビジネスが成長し、収益をあげることが難しくなり
ます。このコーナーでは訪日旅行者のニーズを知る目的で、訪日旅行の現場を知る通訳案
内士、そしてホテルのコンシェルジュや旅館の担当者の視点で、訪日旅行者たちがどのよ
うに旅行を楽しみ、内容を評価しているのかをまとめ、月2回掲載します。ぜひ、ご覧く
ださい。



ちゃんこランチで形勢逆転

 通訳案内士として現場で活動する私も、お客様の「胃袋」に救われた経験があります。

 まだ新人ガイドだった頃、無謀にもアメリカ人VIPの対応のお仕事がまわってきました。「ベーシックな都内1日観光」という話でお受けしたものの、蓋を開けてみたらびっくり。朝からお客様のイレギュラーなリクエストのオンパレード、そして鋭い質問の嵐。緊張のあまり私の頭は真っ白になり、困り果てて得意の愛想笑いを返してみても当然、反応なし。むしろ、ムスッと無口に…。そんな惨憺たる状態でランチタイムとなりました。

 昼食は都内某所でちゃんこ鍋。ガイドは別食だったため、VIPとご同行の日本人の方をお店にお連れし、私はコンビニのおにぎりをほおばりながら落ち込んでいました。

 1時間後、恐る恐るお客様のテーブルに向かったところ、そこには午前中とはまったく違う表情のVIPの姿が!満面の笑みを浮かべ「朋サン!君のアレンジしてくれた『トマトちゃんこ』は最高だよ!グッジョブ!!」と大絶賛です。

 昼食のメニューを知らされていなかった私は「と、トマトちゃんこ?」と一瞬何のことかさっぱりわからなかったのですが、ご同行されていた日本人の方によると、どうやらVIPのお客様はあらかじめ用意されていた和洋折衷のトマトベースのちゃんこの味わい深さやヘルシーさに、感激しっぱなしだったそうです。

 当然、この日の昼食は旅行会社が手配してくださったのですが、目を爛々と輝かせて喜ぶお客様の手前、私は「ご昼食を楽しんで頂けたようで何よりです(ニッコリ)」と旅行会社様の手柄を拝借してしまいました(ごめんなさい!)。おかげさまでお客様はなぜか私に対して全幅の信頼を寄せるようになり、午後は終始和やかムード。私も緊張が解け、なんとかガイドの責務を果たし、お客様も私も笑顔で1日を終えることができました。トマトちゃんこ、おそるべし。


微笑みながらディナーをボイコット

 ただ、残念ながらお客様のウォンツが手配内容とあわない場合も往々にしてあります。

 優しい笑顔を絶やさないタイ人のお客様の10人くらいの団体を案内したときのことです。お客様の年代は20代の方もいれば、50代もいるという具合で幅広く、男性、女性ともほっそりとした「草食系」。天候に左右されつつも旅程は順調にすすみ、お客様は終始ニコニコ。そんなお客様が最終日の夜をボイコットしようとしたのです。

 すっかりお客様と打ち解けたバスの車内、「さぁ、今夜のお食事は自然食レストランでビュッフェですよ〜」とアナウンスしたところ、お客様が「え〜!」と一斉にブーイング。お客様のテンションが一気に下がる様子がわかりました。「野菜だけじゃなくて、お肉や魚もありますからね」と説明したものの、車内のがっかり感はぬぐいきれませんでした。

 食事場所のあるショッピングモールに到着し、バスを降りるとお客様はしっかり他のお店をチェック。「しゃぶしゃぶ屋がある」と一人が声をあげると、グループのなかでも一番親切で穏やかな女性のお客様がにこやかに、しかしはっきりと「食事代の返金は求めないから、私は他のお店でお肉を食べる」とおっしゃったのです。すると、それを聞いていた他のお客様も、「私も!」「僕も!」と後に続き…。全員が「自然食レストランには行きたくない!」と夕食をボイコットしようとしはじめました。

 さすがにまずい、と思った私は「とりあえずレストランに行きましょう。メニューを見てから決めてみてはいかがですか」と提案し、お店の前にあったビュッフェメニューをひとつひとつ説明することに。10人中8人にはご納得いただきましたが、「肉食宣言」をした女性とそのお連れ様は「本当にごめんなさい!野菜大嫌いで食べられないの」と用意された夕食をパスし、しゃぶしゃぶ屋さんにそぞろ歩いていかれました。あとからお話をうかがったところ、その方々だけでなく、10名全員、無類のお肉好き、野菜嫌い。しかも、みなさま「痩せの大食い」だったそうで、いつも食事が足りないと思っていたそうです。実際、このグループの方々はお土産屋さんに寄っては買ってきたお土産をその場で常に食べていました。


「感覚」ではなく、「情報の収集とデータの活用」を

 食事に対するニーズと手配した内容が合致しないのは、アウトバウンドでも多かれ少なかれそのような場合がありますが、お客様は私達と同じ日本人。ある程度の嗜好や求めているものが感覚的に分かったりします。しかし、インバウンドの場合で難しいのは「国内にいながらにして世界を相手にすること」。極端な話、世界各国からいらっしゃるお客様の好みをおさえなければならないのです。

 ただし、だからといって、すべてをその国の人の口にあうようにアレンジしなければならない、という意味ではありません。「日本食」とひとくちにいってもラーメンやお好み焼きなどのB級グルメや、「洋食」といっても日本独自のオムライスなど多種多様で、求められている「日本食」が何かを把握しておくことが大事なのかな、と個人的には思います。

 ですから、インバウンドのお客様の「胃袋とハートをゲット」するためには、やはり情報収集が欠かせません。国籍別で一般的にいわれる国民性、味覚を知ることに加え、可能であればそれぞれのお客様の嗜好や「日本で食べたいもの」がヒアリングできれば確実です。

 また、今まで社内で取り扱ってきたお客様の食事について、希望や実際の食事場所、フィードバックをデータベース化するなども有効かもしれません。そのなかには、現場でお客様の反応を見ている通訳案内士の話をまとめておくと、ヒントが隠されていることもあるかもしれません。「日本のラーメンはとんこつに限る!」と力説する東南アジアのお客様、わさびをお寿司に山盛りにつけて「ヒャァ!」と涙を流しながら喜び楽しむ欧米のお客様。現場は常に刺激と情報にあふれていますから、ぜひ通訳案内士の話にも耳を傾け、情報収集に役立ててください。


文:旅野朋/通訳案内士(英語)