TIFS会員インタビューVol.8 アジア・インタラクション・サポート 青木 達夫 氏

  • 2024年4月25日
  • 出典:一般社団法人新観光創造連合会(TIFS)

 TIFS会員の取組をご紹介するシリーズ第8弾は株式会社アジア・インタラクション・サポートの青木達夫さんの取組をご紹介します。

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-まずは自己紹介をお願いします。

青木 達夫氏(以下敬称略) 昭和31年に東京の北区で生まれ、その後すぐに家族で名古屋へ引っ越し、その後名古屋大学の法学部政治学科を卒業するまで名古屋で暮らしました。

 その後、当時はまだ今ほど知名度の無かったリクルートに入社しました。もともと高校の教員になりたいと思っていたのですが、その頃リクルートが「リクルートブック」というものを就活生に向けて送ってきており、それが無料なのが不思議で仕方がなく、友達にリクルートの面接に誘われたのを機について行ってみたら、順調に内定が出たという次第です。

 母親には反対されましたが、父親には「リクルートに入社したほうが人生が面白くなるのではないか」と背中を押され入社しました。東京と名古屋の両方で勤務をし、24年間勤めた後、2002年に角川へ転職しました。

 角川では最終的に雑誌部門の広告部と業務改革部を任され、54歳まで勤めて退職しました。もともとリクルートにいた時から考えていたことで、55歳までに世界一周をしてその後自分の会社を作ろうと決めていました。世界一周から帰国したのち、2012年にアジア・インタラクション・サポートを設立しました。

-元々独立をしたいという考えだったのですね。

青木 リクルートを辞める前に、いずれ中高年の転職支援をする事業をやりたいと考え、中高年の働き方について念入りに調べたことがありました。その時に感じたのは、仕事というものは人生にとって非常に必要であり、それがぶつりと途切れることにより、精神的にガックリ落ち込んでしまったり、自分の価値が下がったように感じ、変調してしまう人が多いということでした。そういうこともあって、会社を作れる体力がまだある55歳くらいまでに起業し、年齢に縛られることなく自分の責任で仕事をしてゆける会社を運営しようと思っていました。

 もうひとつの背景としては、世界一周旅行をしている間に日本のステータスの高さを実感したというのがあります。日本に行ったことのある人は「日本が大好きだ」と言うし、いつか行きたいと言っている人も沢山いました。世界一周旅行の帰国日は2011年3月12日でした。東日本大震災があったことから、自分も何かしなければという想いも強かったですし、また天災に打ちひしがれている日本人をきっと外国人は励ましてくれると思い、この国の利益にも通ずる事業をやりたいと考えました。

-会社の概要や事業について教えてください。

青木 当社はインバウンド事業をやるために設立しました。設立当初、全くの素人で無謀でもあったので旅行業の資格を取るところから始めました。まずはインバウンド旅行客をランドオペレーターとしてお世話しながら、更に出身でもある広告畑というところで、ダイヤモンドビック社が発行していたインバウンド向けフリーペーパー「GOOR LUCK TRIP」の名古屋版と九州版の広告総代理店としても営業をしていました。

 しかしながら、当時はまだ名古屋と九州においてはインバウンド市場が発達しておらず、うまく広告主をキャッチするのに苦戦しました。ランドオペレーター業務も想像よりも大変で、創業してからの3~4年はまさに失敗を学ぶためにあったようなものだったと言っても過言ではありません。現在は、インバウンド集客サポートと宿泊施設の運営をメインに事業を行っています。