itt TOKYO2024

DS模擬問題:シンガポール 多民族国家を象徴するエスニック街

  • 2009年10月19日
問 次のエスニック街のうち、カンポン・グラムと呼ばれる地域に属しているのはどれか

A チャイナタウン
B リトル・インディア
C アラブストリート
D ゲイランセライ


−−正解は下記へ


ココに注目!



▽アラブ人のいないアラブストリート

 マレー半島の南端に位置するシンガポールは、地理的・歴史的背景から、さまざまな人種が入り混じる多民族国家となっている。8割弱を占める華人をはじめ、マレー人、インド人、アラブ人が渾然一体となっているのがシンガポールの魅力のひとつであり、その象徴がシンガポール中心部に点在するエスニック街といえるだろう。

 そもそもシンガポールは、スタンフォード・ラッフルズ卿によってイギリスの植民地となり、近代都市へと変貌していった歴史がある。ラッフルズ卿は、それ以前にこの地を統治していたジョホール王国のサルタンに敬意を表し、アラブストリート周辺のカンポン・グラムをサルタンの領地として認めた。そのため、ここにはサルタンのための王宮「イスタナ・カンポン・グラム」やシンガポール最大の回教寺院「サルタン・モスク」があるというわけだ。ちなみに、イスタナ・カンポン・グラムは現在、改装を経てマレーの歴史や伝統文化を展示する文化保存・伝承施設「マレー・ヘリテージ・センター」となっている。

 19世紀後半になると、カンポン・グラムには各地から移民が押し寄せた。なかでもアラブ系移民は、イスラム教徒のメッカ巡礼をサポートするビジネスで成功を収め、頭角を現していく。その証は、バグダットストリート、ブッソーラストリート、アラブストリートといった道の名称からうかがい知ることができるだろう。

 しかし20世紀になると、経済の発展により移民の数が増え、裕福なアラブ系移民は郊外へと移住、代わって中国系、インド系の移民が増えていった。現在ではアラブストリートにアラブ人はいないというのが定説だが、イスラム文化の一大拠点であることに変わりはなく、アラブ独特の街並みと伝統工芸品や家具、宝石といったショッピングが楽しめるエリアとなっている。

 ちなみに、アラブ系移民とともにこの地に住んでいたマレー系移民の多くは、政府の政策もあり、ゲイランセライへと移り住んでいった。ゲイランセライはシンガポールにおけるマレーのコミュニティ文化の中心地で、マレー系の手工芸品や食の魅力を体験することができるエリアである。


▽再開発がすすむエスニック街

 ラッフルズ卿による開港で、中国の福建省からも移民が押し寄せ、現在のチャイナタウンを居住区とした。エリア南のテロック・アヤ地区には、海の女神を祀るシンガポール最古の中国寺院「ティアン・ホッケン寺院」が建ち、チャイナタウンらしさと歴史を感じさせてくれる。しかし、その北に位置するクレタ・アヤ地区には、シンガポール最古のヒンズー寺院「スリ・マリアマン寺院」が、さらにはシンガポール最古のイスラム寺院「ジャマエ・モスク」が建ち、それぞれに異彩を放っている。植民地として歩んだシンガポールのユニークな歴史を垣間見ることができるエリアだ。
 
 また、シンガポールのエスニック街は再開発のラッシュにある。チャイナタウンの再開発の目玉はファー・イースト・スクエア。しゃれたカフェやレストラン、雑貨店などが入っており、ショッピングや食の楽しみを提供している。また、1階が店舗、2階が住居スタイルのカラフルなショップハウスも再開発され、新しいチャイナタウンの風景をつくり出している。昔ながらの雰囲気に触れることができる施設といえば、チャイナタウン・コンプレックスだろう。このエリアで営業していた屋台をひとまとめにした建物で、中国雑貨や衣料品、巨大な市場など、地元の人々の生活に親しむことができる。

 ダウンタウンの北東部に位置するリトル・インディアも同様だ。イギリスの統治下にあったインドから大量の労働力として移民が流れ込み、この地にインド文化を刻んでいった。その象徴的な建物が、極彩色の門が目印の「スリ・ヴィラマカリアマン寺院」だろう。なにより、セラグーン通りを中心とするエリア内は、お香やスパイスの香りが漂い、サリーを身にまとう人々が行き交う異国情緒にあふれている。再開発されたリトル・インディア・アーケードでも、インド系雑貨の土産物屋や菓子屋、インド料理のフードコートなどが建ち並び、エスニックなムード満点の雰囲気を楽しむことができる。

写真提供:シンガポール政府観光局





正解:C