itt TOKYO2024
itt TOKYO2024

法律豆知識(110)、航空私法入門(その1)

  • 2006年12月16日
<はじめに>
 日本人にとっての海外旅行ブームは、パックツアーから始まった。その結果、フライトキャンセル、航空機の遅延や荷物の破損などのトラブルが生じても、それは旅行者と旅行業者とのトラブルになるだけで、旅行者と航空会社のトラブルになることは少なかった。

 従って、航空会社とのトラブルの多くは、旅行業者との間で生じていたが、そのトラブル自体が公表され、社会問題になることが少なかったので、十分な検討がなされないままになっていると思われる。本コーナーでは、あまり議論されることがない航空私法について、連載方式で検討してみることにしよう。
  
<モントリオール条約の成立>
 国際航空運送における航空運送人(要するに航空会社)の責任や損害賠償の範囲については、モントリオール条約(国際航空運送についてのある規則の統一に関する条約)によることが原則となっている。

 同条約は、1999年5月28日に、カナダのモントリオールで採択され、我が国は2000年に批准。2003年9月5日にアメリカとカメルーンが批准書をICAO(国際民間航空機関)に提出したことにより、締結国が31ヶ国に達したため(30番目の批准書が寄託された後、60日目に発効することになっている)、同年11月4日に発効した。

 ところで国内航空については、モントリオール条約は適用されないため、我が国では航空運送人の責任について直接規則する法律がない。そのため、商法において、陸上運送人に関する規定を準用しているほか、民法、商法の一般規定が適用されることになる。実際には航空運送人の定める運送約款が重要な役割を占める。

<モントリオール条約に至るまで>
 民間の輸送手段として航空機が使用されるようになって間もない1929年、ポーランドのワルソーで署名された「国際航空運送についてのある規則の統一に関する条約」、いわゆるワルソー条約(Warsow Convention)が1933年2月13日に発効し、これがモントリオール条約が発効するまでの60年間、国際航空の航空運送人の責任を統一的に規律する原則的な条約となった。

 第二次大戦後、民間の航空運送が飛躍的に発展する中で、1955年にワルソー条約を修正する「ヘーグ議定書」(The Hague Protocol)が採択され、1963年8月1日に発効した。

 ただ、この「ヘーグ議定書」は、ワルソー条約の部分的な改正にとどまったため(旅客賠償限度額を12万5000金フランから25万金フランに増額したが、有限責任主義と過失推定主義はそのまま)、その後、ワルソー条約の近代化の試みがなされ、1971年3月8日に、グァテマラで改正議定書が採択された。これは「グァテマラ議定書」と呼ばれるものであったが、米国の加入のないまま、発効することはなかった。

 グァテマラ議定書の内容を改正すべく、1975年9月にモントリオールで4つの議定書が採択された。いわゆる「モントリオール議定書」であるが、必要な30ヶ国の批准がなかなか得られず、第4議定書(貨物に関する責任を定める)のみが、1998年6月に発効しただけであった。

 この間、アメリカはワルソー条約、へーグ議定書における責任限度額の低さなどから、1965年ヘーグ議定書の批准の放棄を宣言し、すでに加盟しているワルソー条約の脱退を通告するような状況となった。そして、アメリカは1966年5月、別途モントリオール協定(モントリオール条約とは違うことに注意)を発効させることに成功したため、ワルソー条約の放棄通告は撤回した。このモントリオール協定(Montreal Agreement)により、アメリカの航空会社とアメリカへ乗り入れる外国の航空会社は、同協定に加盟することが義務づけられることとなった。
 
 このような混乱した状況を統一した現行のモントリオール条約の発効は、60年続いたワルソー条約体制を変更するもので、航空運送の分野で大きな意味を有するものである。

 ※次回はモントリオール条約の内容を説明します