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DS模擬問題:中国編 古き良き旅情香る大連、近代化で新しい魅力も

  • 2010年6月21日
問 今も大連に残るものの中で、当時の日本と関わりのないものはどれか

A 中山広場
B 旧大和ホテル
C 大連駅
D 路面電車


――正解は下記へ
                      
                     
                        
ココに注目!


▽日本資本の建築物が残る街

 旅情をかき立てられる街、大連は、中国北部、遼東半島の先端に位置している。遼寧省の省都、瀋陽に次ぐ大都市で、港湾都市として発展した。日本の企業も多数進出しており、現在は経済技術開発特区として内外から注目を集めている。

 かつて満州国の玄関口だった大連には、日本のインフラ投資が入り、今もその面影を至るところに残している。例えば、街の中心部に位置する中山広場周辺の建物群だ。なかでも、現大連賓館となっている旧大和ホテルは、世界各国のVIPが訪れた由緒あるホテル。ルネッサンス様式の建物は建設から100年以上が過ぎたが、今でも夜にライトアップされレトロで美しい姿を見せてくれる。

中山広場にはバロックやゴシック様式、日本統治時代の建物が数多く残されており、今でも異国情緒あふれる街並みを形成している。しかし、中山広場そのものは、1989年にロシア人が設計、建設したもの。パリをモデルにしているため、円形の広場を中心に道路が放射状に伸びているのが特徴だ。建設当時は「ニコライフスカヤ広場」、日露戦争後は「大広場」、中華人民共和国成立後には孫中山氏を記念して「中山広場」と名称を改めた。


▽2つの国に翻弄された歴史

 広場の名称を見るだけでも、大連がいかに他国に翻弄された歴史を歩んできたかがよくわかる。19世紀末、この地は日清戦争で日本が清から得た場所だったが、ロシア、フランス、ドイツの三国干渉により清に返還。その後、不凍港であるこの地に目をつけたロシアが租借地とし、都市構造の基本を築いた。日露戦争、満州事変を経た1932年、日本は遼寧省、吉林省、黒竜江省、および内モンゴル自治区の東部に満州国を建国。そのため大連は再び日本の租借地となり、「ダリーニ」と呼ばれた町は「大連」へと名称を改めた。

ソビエト連邦による侵攻で満州国が崩壊する1945年までのわずか14年で、この地へ移り住んだ日本人は少なくない。この地で生まれたという人も、60代、70代に多く、当時を懐かしんで訪れる人も多いことだろう。大連が「大連市」となったのは1982年。その後は、中国の改革開放路線により、1984年に経済技術開発特区に指定され、今や中国第3の港湾都市へと発展した。


▽近代化・高速化の波が大連へ

大連における観光業の発展も目覚ましい。2009年の大連空港の旅客取扱量は前年比16.5%増の955万人。2010年は1000万人を突破し、2020年までに2000万人に達する見込みとなっている。そのため新空港の建設も計画されているが、それまでの間は現在の空港を拡張してしのぐ予定だ。現在、4本目の滑走路建設を計画している。

 また、鉄道の発展も見逃せない。大連とハルビンを結ぶ鉄道は全長904キロメートルで、23駅を9時間から13時間かけてつないでいる。これを平均時速200キロメートルで走行しわずか3時間で結ぶ計画が進んでおり、2012年初頭の開業を予定している。ちなみに、拠点となる大連駅は上野駅をモデルに建築。2003年の改装工事で内部は新装されたが、外観はかつての面影をとどめている。

 交通機関が目覚しく発達し、何事もスピーディーに変化していく大連だが、観光ではノスタルジックな雰囲気をゆったりと楽しみたい。それには、今でも街なかを行き交う路面電車がぴったりだ。日本統治時代に導入された路面電車は、路線によっては今でも日本製のレトロな車輌が運行されている。






正解:A


写真提供:中国国家観光局 大阪駐在事務所