外国人観光客が急速に戻っている。日本政府観光局(JNTO)が5月17日に発表した4月推定値によれば、訪日外客数(入国外国人旅行者)は194.9万人で、前年同月の約13倍、コロナ前の2019年同月と比較しても66.6%に達する数字だ。インバウンドが戻りつつある中、日本最大の観光都市京都はどうなっているのか。5月25日から26日にかけて行われたJR東海の京都キャンペーンプレスツアーに参加し、京都の観光事情の現状を視察してきた。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也)

仏教にとどまらなかった
空也上人の偉業

空也上人立像(JR東海提供)空也上人立像(JR東海提供)

 今回参加したのは1993年に始まった、30年の歴史を持つ「そうだ京都、行こう」の2023年夏キャンペーン「あなたは、どの仏像から入りますか?」の体験ツアーだ。テーマに沿って空也上人立像が安置されている六波羅蜜寺、1000体の観音像が立ち並ぶ三十三間堂、みかえり阿弥陀の永観堂禅林寺などを巡った。

 旅行記事は当連載の趣旨とは異なるが、招待いただいたJR東海の手前、ツアーで筆者が特に感銘を受けた空也上人立像の話だけ書かせてもらおう。

 空也上人立像は口から6体の仏像が飛び出るユニークな姿で知られ、教科書やテレビなどで目にしたことがあると思うが、間近に見るとさらに鮮烈な印象だ。衣の質感、痩身ながら引き締まった筋肉、手の甲に浮いた血管まで精緻(せいち)に彫り込まれた姿は圧巻の一言。

 空也本人の足取りは、それに劣らず伝説的だ。空也像は鎌倉時代の作だが、空也上人は平安時代中期の僧で、仏教が出家僧の修行のためのものであった時代に「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」と唱えれば浄土に行けるという念仏信仰を大衆に説いた(これは後に浄土宗へと発展する)。

 空也像の口から出る6体の仏像は「南無阿弥陀仏」の6文字を意味しており、彼が念仏を唱えると阿弥陀如来に姿を変えたという伝説を表現している。音を可視化した立像は世界的にも珍しいという。

 しかし空也の業績は仏教にとどまらない。平安前期(700~800年代)は富士山、阿蘇山、鳥海山などが噴火。東日本大震災と同じ震源域で発生した同規模の地震とされる貞観地震など大規模自然災害が多発。また天然痘の流行などパンデミックに見舞われた激動の時代であった。

 空也が生きた900年代も京都で繰り返し大きな地震が起きており、災厄を恐れる貴族や大衆の間には不安が蔓延(まんえん)していた。今の私たちにも通じる部分があるのかもしれない。そんな中、京都で再び疫病が蔓延。多くの人が病に倒れ、道端には死体があふれた。京で献身的に介護をしながら仏教を説く空也に、朝廷は疫病への対処を依頼した。

 科学技術が発達していない時代、呪術的なもので災害や疫病を鎮めようと試みる例は珍しくなかったが、彼の対処は極めて科学的だったといわれている。彼は町中の井戸を埋め、新たな井戸を掘った。また遺体を山奥に放置する自然葬を火葬に改めるなど、感染経路を断つ「公衆衛生」を推進。そして同時に、弱り切った心を支えるための念仏を民に授けて回った。

 この他にも空也は各地を回りながら、寺院のみならず道路や橋などの社会インフラ整備に携わるなど、宗教家であると同時に優秀なシビルエンジニアだったとされる。彼の没後250年に作られた空也像が、あたかも生身の彼を精緻に写実したかのような存在感を持つのは、彼の偉業が鎌倉時代まで伝わり続けたからに他ならない。