政府が1日、佐渡金山(新潟県佐渡市)をユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産に推薦した。登録されれば県内初の世界遺産となる。観光業への追い風になり、経済波及効果も期待される。

「新たなスタート 自慢に」

 佐渡市民や県民からは喜びと安堵(あんど)の声があがった。

 佐渡金山のなかで規模が大きい相川金銀山。公開されている坑道では、65体の電動人形が江戸時代の採掘作業を再現している。運営会社ゴールデン佐渡の社員や関連会社員らがモデルになったため表情は生々しい。坑内の電気システムの保守を請け負う地元企業に半世紀勤めた出崎邦利さん(71)もその1人。昨秋の退職後も地元に住む出崎さんは「なんとか世界遺産への申請までこぎつけた。いろいろ課題はありそうですが、一日も早く世界遺産になってほしい。金山を保存するため、後輩たちに力を貸したい」と語った。ゴールデン佐渡の河野雅利社長は「登録されれば、佐渡の魅力を発信する契機になる」と期待する。

 佐渡市の渡辺竜五市長は会見で「ほっとしている場合ではなく新たなスタート。イコモス(ユネスコの諮問機関)などの調査に万全の態勢で対応する。外交の問題は国の判断になるが、地元での再調査にはしっかり取り組む。受け入れ態勢も整え、相川地区で遊歩道や駐車場を整備するとともに、おもてなしの態勢を作っていく」と語った。花角英世知事は1日午前、県庁で報道陣の取材に対し「無事に閣議了解できたということで、また一歩歩み出したな、というところ」と述べた。この日から県の新年度当初予算案の策定に向けた最終調整も始まり、「登録は交流人口拡大のきっかけになる。それに向けた準備をしていきたい」と語った。

 新潟市中央区の70代女性は5度目の挑戦での推薦決定に「推薦されただけでも良いと思う」と話す。

 中央区の高山正行さん(76)も県内初の世界遺産となれば観光客の注目が集まるとして、推薦決定を「良いことだと思う。世界遺産に決まって欲しい」と語る。一時、推薦見送りも検討されたことについては「韓国の反対に弱腰にならないでほしい」。専門学校生の池田深心さん(19)は「新潟で自慢できることの一つになる」。

 観光や交通分野では落ち込む佐渡観光の起爆剤として期待が大きい。

 佐渡の観光振興を担う佐渡観光交流機構の祝(ほうり)雅之専務(54)は「日本や世界の歴史を変えた金山の価値が、やっと客観的に認められた。ここからが観光に携わる私たちの腕の見せどころだ」と意気込む。同機構は、「世界遺産推薦決定」と書かれたポスター約100枚を市内の案内所や宿泊施設などに張り出した。金塊を模した箱入りのティッシュも、案内所で配布している。

 祝専務は世界遺産に認定されれば多数の観光客が島を訪れると見込み、「金山が生んだ島独自の文化を感じていただけるような地域作りが求められる」と話した。コロナ禍での輸送客大幅減で経営に苦しむ佐渡汽船の三富丈堂総務部長は「輸送実績にも追い風になるだろう」と歓迎する。

 日本政策投資銀行新潟支店は世界遺産登録された場合、登録の1年後には経済波及効果が約520億円に上ると試算する。2019年の年間旅行消費額は想定値で約270億円だが、登録1年後には約370億円に。さらに年間来訪者も約20万人増の約70万人に達する見込みだ。ただ、団体客向けの宿泊施設の老朽化や、観光客が急増した場合に宿泊施設が足りなくなる懸念も課題として指摘する。

国立科学博物館の鈴木一義・産業技術史資料情報センター長の話

 長期間にわたり金が採れた佐渡金山では採掘から小判の製造まで一貫した生産システムが確立された。鉱山で純金の精錬までしていたのは世界でも唯一無二と言える。

 佐渡金山で行われた精錬技術は、世界的には数千年前から使われてきた原初的な技術で、欧米では近世に新しい精錬技術によって廃れてしまった。だが、日本では国内各地から集められた優れた職人が蓄積した技術により、金の純度を99・54%まで高めることを可能にした。世界的には廃れた技術が佐渡では20世紀近くまで「深化」し、世界に誇る質と量の金が生産された。

 採掘、選鉱、製錬、小判製造といった一連の過程が遺構と絵図、文書で体系的に残されている点も大きい。全ての生産工程が検証できるのは世界的にみても例がない。

 絵図や文書は江戸幕府によって作られ、佐渡奉行が交代するたびに内容が更新された。欧米では特許などで技術が保護され、発展したが、日本では多くの技術書や写本が残され、競い合うことで深化したといえる。そうした資料や遺構が多く残っているのも貴重である。

 世界文化遺産への推薦の前提となる国の「暫定リスト」に記載されてから10年以上を費やしたのは、調べるべき遺構や資料が膨大にあったということ。金は人類にとって最も貴重な金属。その原点ともいえる技術を残す佐渡金山のことを世界に広く知ってもらいたい。

解説

 ユネスコの世界文化遺産に、佐渡金山遺跡(佐渡市)が推薦されることになった。世界には多くの金山があったのに、なぜ佐渡金山が世界遺産の候補に値するのか。それは機械ではなく、人間が手作業で金を求めた証しだからだ。

 巨人が斧(おの)で山を割ったような「道遊(どうゆう)の割戸(わりと)」と呼ばれる遺跡がある。佐渡金山の象徴だ。金鉱石が露出していた山頂から手掘りで掘り進めた結果、標高252メートルの山を真っ二つに割いた。その異様な姿は、飽くなき人間の欲望のなせる業だ。

 佐渡金山を世界文化遺産の推薦候補にふさわしいと認めた文化審議会は、その理由として「顕著な普遍的価値が認められる」と記した。世界遺産を決めるユネスコ宛てに提出する推薦書の原案で、新潟県と佐渡市はこう強調している。

 ①鎖国政策の結果、同時代のヨーロッパなどの鉱山での動力機械装置を用いた金生産とは異なり、伝統的手工業による金生産が長期間にわたって続けられた②採掘から製錬、小判製造までの一連の工程を精緻(せいち)化して高品位の金を生産した③その結果、日本は17世紀に世界最大級の金生産地となり、輸出された小判は国際貿易に大きく貢献した――と。

 佐渡金山は、400年間に現在の価格で7千億円を超す金78トン、銀2330トンを生み出した。その主力だった相川金銀山は1989年に採掘を休止した。約400キロに及ぶ坑道のうち、四つの坑道が観光用に江戸時代と同じ手作業で保全されている。

 その一つ、「宗太夫坑」では、65体の電動人形たちが江戸時代の姿で鉱脈にたがねを打ち込み、水をくみ出し、安全を祈る神事をつかさどっている。江戸時代に坑内の様子を詳細に描いた絵巻などを基にして復元された。金山から日本海まで地中を約1キロにわたって手で掘った南沢疎水道は、いまでも坑道からわき出る水を流し続けている。

 佐渡金山は、その周囲に5万人ともいわれる独自の鉱山町を形成した。佐渡奉行が奨励した娯楽のための能楽は佐渡島の伝統芸能となり、島内には今も36の能舞台が残る。

 人力で金銀を求めた人類の証しは、佐渡島に今も生き続けている。(古西洋)

 〈佐渡金山〉 「西三川(にしみかわ)砂金山」と「相川鶴子(つるし)金銀山」の二つの鉱山遺跡で構成され、総面積は740・5ヘクタールに及ぶ。西三川砂金山は平安時代の「今昔物語集」に登場したと推定される島内最古の砂金山。相川金銀山は1601年に開山され国内最大級の金銀山で江戸幕府の財政を支えた。鶴子銀山は室町時代末期の1542年発見とされる。いずれも江戸時代の徳川幕府によって管理・運営され、採掘から製錬、小判製造までの一連の工程を手工業で行った。鎖国下で欧州とは異なるシステムで発展した稀有(けう)な産業遺産とされる。

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