舞鶴沖の無人島、観光活用できる? 海軍遺構や城跡、国の調査始まる

富田祥広
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 京都府舞鶴市の舞鶴湾に浮かぶ小さな無人島「蛇島(じゃじま)」を、国内外から人をひきつける観光資源として活用できないか――。そんなことを探る国の調査が始まった。島には旧日本海軍のガソリン保管施設や戦国時代の水軍の城跡が残り、市は将来的に市内観光の拠点の一つにしたい考えだ。

 10月10日、国土交通省近畿運輸局の担当者らが蛇島の調査に訪れた。活用を探る国の事業を受託した監査法人トーマツと旅行大手JTBの社員らも一緒に上陸し、市職員の案内で島内の遺構を見て回った。

 藤原幸嗣・近畿運輸局観光部長は「戦国時代から近代までつながる風景が多く残り、非常に魅力がある。観光資源としての可能性や一般公開に向けた課題を検討したい」と話した。今年度中に報告書をまとめ、整備計画や観光活用策の素案を市に提案するという。

 舞鶴では1901(明治34)年に海軍の舞鶴鎮守府が開庁し、軍港の拡大にあわせて沿岸や沖合の島にも弾薬庫や燃料保管施設などがつくられた。蛇島に残っている石積みの護岸や桟橋、電動起重機の基礎部分など旧海軍の遺構は今も良好な状態で確認できる。

 なかでも1922(大正11)年につくられた「ガソリン庫」は軍港を支えたインフラの一端を具体的に示す施設とされ、旧海軍の鎮守府が置かれた全国4市(横須賀、呉、佐世保、舞鶴)が認定されている「日本遺産」の構成文化財に2020年に追加された。

 ガソリン庫は島を東西に貫く4本のトンネルで、長さ約65~70メートル、幅約3・6メートル、高さ約3・5メートル。航空機などの燃料用とみられるガソリンを大量に保管するため、海軍は人里を避けて無人島に施設を設けたと考えられている。

 10日の調査では、標高約40メートルの島頂部にある戦国時代の水軍の拠点「蛇島城」の遺構も視察した。湾内を一望できる蛇島は海上交通の要衝で、“海の山城”とされた蛇島城跡には斜面を平らに削った複数の「曲輪(くるわ)」や、敵の移動を阻むために山腹を削った「竪堀(たてぼり)」などの痕跡が残っている。

 今回の調査は観光庁が進める「将来にわたって旅行者を惹(ひ)きつける地域・日本のレガシー形成事業」に基づくものだ。地域の遺産や文化を活用した観光資源を全国から募集し、地方運輸局が主体となって実現の可能性を調べ、地域による活用計画の作成を支援する。全国46件の応募から、舞鶴市を含む11件を採択したと今年7月に公表された。

 舞鶴市は計画案で、蛇島の観光資源としての魅力を「水軍から海軍へ 日本海の護(まも)りの要所」と表現。蛇島を市内観光の核と位置づけ、蛇島城の復元整備や、近くの海上自衛隊基地に停泊する艦船を間近に見られる遊覧船の周遊コースに組み込むことを提案した。

 上陸調査を終えたトーマツの担当者は「観光コンテンツとして、どう生かせるのか。城の復元や遊歩道、トイレの整備など、一般公開に向けてどう手を加えるのか。あらゆる角度から検討したい」と話した。(富田祥広)

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 〈蛇島〉 南北約260メートル、東西約100メートル、周囲約650メートルの細長い島で、舞鶴湾の中央部に位置する。1916(大正5)年に海軍用地として買い上げられ、島の北側には戦前、砂が運び込まれて海軍関係者やその家族が利用できる海水浴場が整備されていた。戦後は国有地となり、普段は立ち入りが制限されている。

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