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「2019年水準への回復は2030年」悲観的に予測し楽観的に行動-ロワジールホテル那覇総支配人 武田寛枝氏

  • 2021年4月7日

 那覇空港から車でわずか7分という好立地にある「ロワジールホテル那覇」。那覇市内にありながら海に面した大規模リゾートホテルとして、家族旅、女子旅、団体などさまざまな客層から人気を集めている。しかし、コロナ禍で状況は一変。沖縄への来島者が減少するなか、経営的にも大きな影響を受けている。沖縄の基幹産業である観光を支えるホテルとして、現状と将来をどのように見ているのか。ポストコロナを見据えた攻めの戦略と合わせて、同ホテル総支配人の武田寛枝氏に聞いた。(聞き手: 弊社代表取締役社長兼トラベルビジョン発行人 岡田直樹)

武田氏
—まず、ロワジールホテル那覇をご紹介ください。

武田寛枝氏(以下敬称略)  ロワジールホテル那覇は、ロワジールホテルのフラッグシップホテルとして1993年に開業しました。今年で28年目になりますが、これまで積極的にリノベーションを行い、客室もアップグレードしています。今年は2階にある大浴場の改修も実施する予定です。

 部屋数は、ロワジールホテル那覇が551室、ロワジールスパタワー那覇が89室の合計640室。那覇市内では最も部屋数が多いリゾートホテルです。

ロワジールホテル那覇の外観

 主なターゲット層はファミリーと女性ですが、ロワジールスパタワー那覇は大人の雰囲気を演出しており、カップルにも喜んで頂いています。また、コロナ禍以前は、旅行会社からの団体の送客も多く、広い宴会場も備えていることから、MICEでも多く利用頂いていました。今後はホテル近くの「波の上うみそら公園」での屋外パーティがセットになったMICEのプランも企画しています。団体の割合は約35%。旅行会社からだけでなく、OTAからの送客も多く、全体の3割ほどになっています。インバウンドは全体の約18%ほど。そのほとんどが韓国からのお客様でした。

—ロワジールホテル那覇で初めてホテリエになられたと聞きました。これまでの経歴を教えて下さい。

武田 浦添市出身で、当時の「エアー沖縄」、現在の「ANA沖縄空港」で社会人をスタートしました。そこで7年間務めて退職。専業主婦を3年ほどした後、二人目の子供が1歳になったときに、当時暮らしていた鹿児島でリクルートじゃらんの業務委託で職場復帰しました。その後。主人の東京転勤に合わせて、東京のじゃらんに転籍。契約社員としてじゃらんネットの拡大に携わりました。3年後に正社員になり、リクルートライフスタイル沖縄に勤務しました。4年後に東京に再び戻り、今度はキャッシュレス事業に携わり、全国を出張で飛び回りました。

 以前から、私自身で「47歳になったら退職する」と宣言していましたが、そのタイミングでロワジールホテル那覇の総支配人のお話を頂きました。それまでは、ホテルの総支配人になるなど全く想像しておらず、最初は躊躇しましたが、「ホテルではなく街をつくる」というビションに感銘を受け、観光業の一員として沖縄に貢献したいという思いもありました。また、フルサービス型のホテルを長年運営している当ホテルであれば、いろいろと新しいことが学べると考え、決断しました。

 リクルート時代はBtoBの仕事が中心でしたが、もともとBtoCの仕事が好きだったため、「最後にBtoCに携わって、自分でお客様へのおもてなしをしたい」という気持ちがあったのも総支配人を引き受けた理由のひとつです。

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