分断のアメリカに“ピンクマネー”旋風?

分断のアメリカに“ピンクマネー”旋風?
“ピンクマネー”ということば、聞いたことあるでしょうか?

LGBTQなど性的マイノリティーの人たちの旺盛な購買力や消費意欲を指す用語です。

アメリカではいま、LGBTQの人たちに特化した商品やサービスを展開するスタートアップが次々登場し、このコミュニティーが経済に与えるインパクトが注目されています。

一方、伝統的な性の道徳観を重んじる保守派からは、LGBTQに寄り添う姿勢を打ち出す企業に反発する動きも目立っています。

現地で最新事情を取材しました。

(ロサンゼルス支局記者 山田奈々)

経済に与える影響 無視できない規模に

世界でおよそ560兆円ーー

“ピンクマネー”=LGBTQの人たちの購買力を世界規模で見た場合の数字です。(LGBTキャピタル調べ)

アメリカだけでもおよそ130兆円にのぼるというデータもあります。
大きな市場とされている背景にあるのが、みずからを性的マイノリティーだと自認する人たちの増加です。

アメリカの世論調査会社ギャラップの調査によると、アメリカで自分がLGBTなどに属すると認識している人は2012年時点では3.5%でしたが、2021年には7.1%と倍以上に増えました。

特に、Z世代と呼ばれる若者の間では、実に5人に1人が、LGBTなどの性的マイノリティーだと自認しているといいます。

こうしたコミュニティーの購買力が経済に与える影響は年々大きくなってきているのです。

LGBTQ特化の金融サービス

アメリカでは、LGBTQの人たちに特化したサービスを展開しようというスタートアップも増えています。

ニューヨークに拠点を置く会社スパービアは、世界初のLGBTQコミュニティーを対象とした総合的な金融サービスの提供を目指しています。
CEOを務めるのは、自身もゲイだというマイルズ・マイヤーズ氏です。

30年以上にわたって金融業界で働いてきましたが、会社を立ち上げた理由は、銀行で差別的な扱いを受けるなどしたことがきっかけだったと打ち明けてくれました。
マイルズ・マイヤーズCEO
「マンハッタンにある銀行で新たに口座を開設しようとした時、書類に別の人のサインが必要になったため『夫に電話してすぐに来てもらいます』と伝えたんです。5分後、夫が到着すると銀行員は『約束を思い出した』と言っていなくなり、別の担当者を紹介されました。とても不愉快そうな感じで、本当に約束があったかは分かりません。その後、この口座の資金は理由もなく凍結され、口座も閉鎖されました」
会社では、銀行や保険、クレジットカードなどお金にまつわるサービスをワンストップで受けられるようにすることを目指しています。

マイヤーズさんたちが実施した調査では、金融サービスで何らかの差別的な扱いを受けた人は、全体の半数近くに及びました。

電話の声と店舗に行った際の見た目の性別が一致しないことで口座の開設を拒否されたり、同性のカップルだという理由で住宅ローンなどを組むことや保険に加入することが難しかったりといったケースがあるといいます。

マイヤーズさんは、金融全体のサービスを包括的に改善しなければ、問題の解決につながらないと考えています。
スパービア マイルズ・マイヤーズCEO
「アメリカには1万近い数の銀行があるのに、私たちのコミュニティーのための金融サービスはこれまで1つとして存在しませんでした。銀行や保険などのサービスを受けられないと生活に多大な影響が及びます。商品やサービスはこんなにたくさんあるのに、必要なものにアクセスできないという問題を解決したい」

旅行はありのままの自分で!

さらに、夏休みシーズンを目前に、注目を浴びているのが旅行の分野です。

カリフォルニア州が拠点のLGBTQの人たちを対象とした旅行会社バカヤでは、アフリカやヨーロッパをクルーズ船で回るツアーなどを販売しています。
船でサービスにあたるスタッフは、LGBTQのコミュニティーに対する理解を深める研修を受けているほか、顧客が現地で参加するツアーガイドや、レストランでも気兼ねなくありのままの自分を楽しめるよう配慮がなされているといいます。

この会社を立ち上げた共同創業者でCMOのパトリック・ガンさんは、10代の頃、自分がゲイであることを公表できずにいたといいます。

本当の自分を知っている少人数の友人たちと旅行に行った時だけは、ありのままの自分でいることができた体験から、自分と同じような境遇の人にも旅を心から楽しんでもらいたいとサービスを始めました。
バカヤ パトリック・ガン共同創業者兼CMO
「クルーズ船を貸し切ることで、いわば、安全なバブル=泡で囲まれた空間を作り、安心してありのままの自分でいられる世界を作りたいのです。アメリカは今、かつてないほど分断されています。それは、時に私たちのコミュニティーへの差別や暴力となって現れる。5年前、10年前以上に、今こうしたLGBTQに特化したサービスが求められていると感じます」
この旅行サービスを利用しているという顧客からも評価する声が聞かれました。
利用客 ニック・ディラミオさん
「旅行で周りの人から『彼女はどこ?妻はどこ?』と聞かれると、気まずい感じになるんです、正直に言えば彼らの間違いを指摘しているみたいになるし、ごまかすと本当の自分を隠さなければいけないですから」
利用客 クインシー・テイラーさん
「ほかにもっと安い価格でクルーズ船の旅行に参加することもできますが、多少料金が高くても気になりません。別の会社のクルーズだと誰か知らない人が隣に座った時にちょっと気まずいと感じたり、相手も私の隣で居心地が悪いなと思ったりしてしまうかもしれません」

もうあのビールは2度と飲まない

旅行会社のガンCMOが話していた、性的マイノリティーの人たちの権利をめぐってアメリカで起きている分断。

それを象徴するような出来事はすでに起きています。

アメリカではスタートアップだけでなく大手企業もLGBTQなど性的マイノリティーへの支援や共感を打ち出した商品を展開していますが、思わぬ反発を招いたケースが多発しているのです。

アメリカを代表するビールブランドの1つ「バドライト」を製造販売するビール大手のアンハイザー・ブッシュは、LGBTQの人たちへのサポートを示す虹を描いた缶ビールなどを1990年代から販売してきました。

2023年はそれに加えて、トランスジェンダーの俳優、ディラン・マルバニーさんに、性転換から1年の節目に彼女の顔のイラストが入った缶ビールを贈りました。
インスタグラムのフォロワー数170万人のマルバニーさんは4月にイラスト入りの缶ビールを受け取った喜びを動画で発信していました。

すると、伝統的な性の道徳観を重んじる保守派から「ボイコットする、2度と飲まない」というコメントや、ビールをキッチンの流しに注いで捨てる動画などがSNS上で拡散されたのです。
ビール会社は「人々を分断する議論に参加しようという意図は全くなかった」などという声明を発表しましたが、不買運動の広がりで、バドライトは6月上旬、20年以上にわたって維持してきたアメリカの売り上げトップの座を別のメーカーのブランドに明け渡す事態に発展しました。

会社の理念を突き詰めるきっかけに

LGBTQのコミュニティーへの支持をめぐって炎上したのは、このビールメーカーだけではありません。

小売り大手のターゲットでは、LGBTQへの支援を表明する洋服やグッズを販売していました。

しかし、5月に一部の店舗で客が商品を並べた棚を倒したり、店員を脅したりする事案が発生。

店は、商品を撤去するなどの対応に追われました。

さらに、アウトドアブランドのノースフェイスは、女装をしてダンスなどを披露するドラァグクイーンの1人パティ・ゴニアさんとのコラボレーションを打ち出したところ、SNS上で不買運動の呼びかけが行われました。

LGBTQのコミュニティーをめぐる社会問題に詳しい、専門家は、企業はなぜLGBTQのコミュニティーを支持するのか、取り組みの背景にある理念を明確にする必要があると指摘しています。
テキサス大学オースティン校 エリカ・シスゼック准教授
「LGBTQを支援しようというキャンペーンは、企業理念のどの部分に合致しているのか、自分たちのアイデンティティーとかい離していないか、企業は、自分たちはいったい何者なのかという、ブランドの背景にある理念を突き詰める必要があると思います。自分たちがどんな会社になりたいのか、よく考えなければなりません。ブランドや組織はジェンダーや性をめぐる世論の変化を認識することが重要になっているのです」

“単なるイベント”を超えて

ピンクマネーは今や無視できない規模の経済パワーになりつつあります。

LGBTQだと自認する人が増えているZ世代が今後、本格的に社会に出て、お金を稼ぐようになると、ピンクマネー市場はさらに活性化するという見方もあります。

一方で、単なる金もうけの手段としてピンクマネーを追い求めると、それはすぐに見透かされてしまう可能性もあります。

6月は性的マイノリティーの人たちの権利向上などを呼びかける「プライド月間」ですが、私はLGBTQのコミュニティーに属するという人から「6月は憂うつだ」と言われたことがあります。

「なぜ?」と聞くと「お店に行くと、あちらこちらでレインボーのバナーやポスター、商品を見かけるが、7月1日になるとみんな撤去される。私たちは単なるイベントとしてしか見られていないと感じるから」との答えが返ってきました。
LGBTQの人たちを支援すれば保守層が離れていくおそれがある、しかし、何もしなければマイノリティーを支援するという会社の理念を示すことは難しく、新しい市場の獲得にもつながらない。

ビジネスの枠を超えて、なぜこのコミュニティーを支援するのか、そこに揺るぎない価値観を見いだし、行動することがこれまで以上に企業に求められていると感じます。

さまざまな価値観の分断が深刻化するアメリカで、“ピンクマネー旋風”とも言える市場の拡大は今後どのような展開を見せるのか、注目していきたいと思います。
ロサンゼルス支局記者
山田奈々
2009年入局
長崎局、経済部、国際部などを経て現所属